105億円使い倒した御曹司の心の闇(2)
銀座は会社も王子も近いから…
「子どもでもわかることでしょう」なぜ、バクチに大金をつぎ込み続けたのか。いくらギャンブル依存症と医師からの診断を受けたとは言え、その不可解極まる行動には、裁判官も思わずそのような言葉を口に出してしまった。
平成11年、知人夫婦が経営する東京・西麻布のレストランのバカラパーティーに誘われたのがきっかけだった。学生時代から銀座を根城にしていたというが、いつしか夜の活動拠点が六本木・西麻布に変わっていた。
もともと、銀座での評判は悪くない。「高級店、あるいはそうじゃない店でも、気に入ったホステスには気前が良かったし、上品な飲み方をされる人で人気もありました」(銀座の店舗関係者)。だが「いくら大王製紙の創業家とは言え、意高さんくらいの年齢では銀座ではまだまだと見られます」(同)といい、また、銀座は、大王製紙の本社、さらにはライバル王子製紙の本社が近いこともあり、しだいに足が遠のいていったようだ。
当時の自宅があった広尾からも六本木・西麻布は近い上に、さらに刺激に満ち溢れていた。