「水戸黄門」打ち切りに見る時代劇のフトコロ
最後の砦「水戸黄門」も終了

全国紙の文化記者によると、ここ数年は撮影が行われている京都の太秦でも記者会見の回数が減っているのだという。かつては会見の後は、テレビ局持ちで食事、JR京都駅までのタクシー代など記者たちにとっては手厚い待遇だったそうだ。また、東京から来た記者には、足代とプラス一泊ということもあったそうだ。もちろん、それらは若い記者は体験しない大昔の話だ。
それでも水戸黄門は最後の砦のような存在だった。1969年に番組はスタートし、79年には43.7%を記録したこともあった。だが近年は一ケタの時もあるなど、度重なるテコ入れもあったが、上昇の気配は見えてこなかった(数字はいずれもビデオリサーチ調べ、関東地区)。
視聴率はテレビにとっての生命線。と同時に株式会社である以上は、お金も生命線なのだ。