屈強プーチン首相が不幸な生い立ち語り泣き落とし

 ロシアのプーチン首相は28日、レニングラード包囲戦の戦没者が眠るサンクトペテルブルクのピスカリョフス墓地を訪れて、兄も同地で眠っていることや母親と、2人の兄についても不幸な死に方をしたと、珍しく自らの身辺を語った。

 米NYタイムズによると、プーチン首相は、同墓地での式典に出席し、戦没者たちに花輪を捧げた。そして、2人の兄がいるが、2番目の兄が2歳時に戦闘の被害で亡くなって、同墓地に埋葬されていることを明らかにしたという。

 もちろん、生前に会うことはなかったそうだ。名前をヴィクトル・プーチンといい、1940年生まれで2年後に死亡したという。そして、長兄についても幼いころに亡くなったと回想した。

 屈強なイメージを戦略的に作り上げてきたプーチン首相だが、公的な式典で自身の生い立ちを語ることは異例。これも、過去にない苦戦を予想される大統領選に向けた、珍しい泣き落とし戦略の一つなのか。


プーチン首相

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