【きょうの名言】大学の存在根拠自体が問われている

 昨年3月11日の東日本大震災は多くの日本人の価値観を変えた上、知のシンボルでもあった大学の地位や信頼を、大きく揺るがした出来事でもあった。そんな中、先日行われた立教大の吉岡知哉総長の祝辞が、卒業生に問いかける。
 立教大学総長祝辞・全文

 「高度な研究を行っている専門家や、著名な大学の出身者である政治家への不信が広がる中で、大学という研究・教育機関への信頼が失墜していったのは不思議ではありません。いま私たちは、大学の存在根拠自体が問われていることに自覚的であらねばならないのです」

 「では、大学の存在根拠とはなにか。一言で言えばそれは、『考えること』ではないかと思います」

 「東日本大震災とその後の原発事故は、大学がそのような考えるという本来の役割を果たしていないし、これまでも果たしてこなかったことを白日のもとに明らかにしてしまった。少なくとも多くの人々の目にそのように見えたのに違いありません。大学への信頼が崩れたのはそのためではないでしょうか」
 
 皆さんがどのような途に進まれるにしても、ひとつ確実なことがあります。
それは皆さんが、「徹底的に考える」という営為において、自分が社会的な「異物」であることを選び取った存在だということです。

 「どうか、『徹底的に考える』という営みをこれからも続けてください。そして、同時代との齟齬を大切にしてください」

 吉岡総長は、1953年2月東京生まれ。1976年東京大学法学部卒業し、2010年から19代立教大総長。専攻は欧州政治思想史。

 今さら多くを説明する必要はないだろうが、多くの人々が何となく感じていたような事柄ではないか。それを言葉に落とし込んでくれたような感じだ。この春、立教大からは、375人の修士号、16人に博士号、55人に法務博士号を授与するという。この言葉を重く受け止めたことだろう。

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