「日本にこんなワインがあったのか」~鳥居平物語~(3)

デキの良いワインは出荷せず長期熟成に

 平年、シャトー勝沼では自社農園2ヘクタールと契約農家3ヘクタールで採れたぶどうで約10万本のワインを作っている。2004年初め、まだぶどうの芽も出ていない時期に今村は、「なぜだかわからないが今年のぶどうは凄く良くなる」という空気を感じたという。居ても立ってもいられなくて、契約農家以外の鳥居平のぶどう農家に掛け合った。青田買いである。その夏、案の定、10年に1度の天候に恵まれ最高のぶどうが収穫できた。こうして平年の4倍、約40万本の醸造に成功した。

 今村は「私の人生の中で、最高のワインを造る機会に恵まれた。国産ワインの歴史を作りたい」と、まるで我が子のように可愛がり、出荷していない。10トントラックにフルボトルを満載して5000本だという。つまり10トントラック80台分に相当する。そのほとんどがトンネルカーブで永い眠りについているのだ。


 通常は20年で栓のコルクを取り替えるリコルクが必要だが、この年今村は、半世紀はリコルクの必要がないコルクをポルトガルのメーカーに発注した。太くて長い、目の緊密なものである。

 実は今村は、1990年のときも同じ空気を感じている。このときは平年の2倍の20万本を造り、その一部を企業に樽単位で譲った。1樽250万円だったが、購入企業からは大層喜ばれたそうだ。

 90年以前は、毎年造る10万本で出来が良かった年のワインの出荷を少なくし、多くを長期熟成にしてきた。しかし1990年、2004年は予感に基づいて醸造量を増やした。この空気とは、ワイン造りに人生を捧げてきた今村の情熱に対する“神の啓示”とでも言うしかない。その空気を感じることができる今村の人生とは、次回に。◆バックナンバー第2回「極上のワイン『鳥居平』誕生の秘密」

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