(第4回)「ワインに生涯を捧げた今村のどん底からの出発」
経済ジャーナリスト 湯谷昇羊
山梨日日新聞社の「ぶどう酒物語」(1978年発行)によると、日本で初めてワインの醸造を始めたのは甲府に住む山田宥教と詫間憲久という人物で、薩長を中心とした官軍と徳川軍の戦いの硝煙の臭いもさめやらぬ1870(明治3)年頃だった。この二人の共同醸造場が失敗に終わった明治9年に、殖産興業の名の下に甲府の舞鶴城趾に「県立葡萄酒醸造所」が建設され、翌年3月に完成している。
シャトー勝沼の歴史とは日本のワインの歴史
今村葡萄酒本舗
シャトー勝沼の前身である「今村葡萄酒醸造場」が産声をあげたのは、このような時代背景における1877(明治10)年のこと。つまり、シャトー勝沼の歴史は勝沼および日本のワインの歴史そのものなのである。初代今村與三郎、1916(大正5)年に引き継いだ2代目今村米藏とも「ぶどうの栽培から醸造、販売まで、すべて一貫した手作り」にこだわった。
父・米藏、母・ふさは女の子ばかり5人生み、6人目に待望の長男が誕生した。それが3代目当主の英勇で、1938(昭和13)年のことだった。しかし米藏は、英勇が小学校6年生のときに52歳の若さで逝ってしまった。英勇にはワイン造りの姿より、「勝沼農業協同組合」初代組合長として農業改革に奔走する米藏の姿しか記憶に無いという。だから英勇は父からワイン造りの薫陶を受けたことはない。