「日本にこんなワインがあったのか」~鳥居平物語~(4)

5億円の借金、ブドウ畑を売れば…


今村英勇
 2代目を失い残された母達は、親戚や使用人の手を借りてワイン造りを続けた。英勇は母ふさから父米藏の話を聞き、自然に「ワイン造りは自分の使命」と考えるようになっていた。このため、東京農業大学醸造学部醸造科に進む。大学を卒業すると「ワイン造りはぶどう造り」と、ぶどう栽培に打ち込んだ。

 そして1963(昭和38)年、25歳の時に第3代当主となるのだが、このころとんでもない事態が英勇を襲った。

 親戚が商売に失敗、多額の借金を背負って倒産し、夜逃げをするのだが、英勇が無断でその借金の保証人にされていたのだ。その額5000万円。今の金額に換算すると5億円は下らない。寝耳に水の話だった。親から引き継いだかなりの土地があったので、これを売ればどうにかなったが、売っていたら極上ワイン『鳥居平』は誕生していなかった。

 「今村さんのところは再起不能」と噂される中、英勇は「借金は頑張れば返せるけど、一度売った土地は二度と手に入らない」と歯を食いしばって耐えた。同じ境遇にあった親戚は、田畑を売って借金を返したが、後に後悔することになる。このとき英勇は、あろうことか更に借金をしてワイン造りに投資、ワインを売って少しずつ借金を返済していった。

 当時、英勇に縁談が持ち上がった。聞けば相手は、米を供出して食料に困窮していた武田信玄から感謝状をもらった桜林家という大地主だという。当然、身上調査のため近所に今村家の実情を聞きに回っていた。それなのにお見合いをすることになった。お見合い相手は「金の苦労は金で返せばいい」と言い、英勇に嫁いできた。

 それが今村英勇の妻・英子である。

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