前回に引き続き、今回は100年後に家宝になる腕時計の2つめの類型を挙げる。前回は複雑時計(コンプリケーション)を取り上げたが、今回は「美術工芸としての高い価値を持つ腕時計」にスポットをあてる。その端的で典型的な例を「エマイユ」に見ていきたい。
芸術的完成度最優先
彫金された文字盤に彩色のための釉薬を
固定してゆく緻密な手作業
時計には「琺瑯引き」と呼ばれる単色エナメルの文字盤があり、懐中時計の時代からの伝統的な技術である。それは現代の高級ドレスウォッチにも引き継がれており、同じ白文字盤でも「琺瑯引き」なのかどうかは、一流品を見分ける重要ポイントだ。
エナメルの文字盤の表面は重厚な輝き方を見せ、目利きは平板なペイント仕上げとひと目で見分ける。そうしたドレスウォッチのエナメル文字盤で有名なブランドといえば、ジャケ・ドローやジラール・ペルゴなどの名前が挙がるだろう。エナメル文字盤は高級腕時計のスタンダードなのである。
そもそもエナメル文字盤は、製造上の歩留まりが悪い。「焼成」=つまり焼き上げて作るものなので、出来上がった状態でヒビが入ってしまうなど、予測しにくいリスクを抱えているのである。
もちろん、ヒビがはいったらそれだけで使い物にならない。製造のセオリーはあるものの、最終的には手練の職人頼みといってもいい、高度に属人的な工芸なのである。特に高級腕時計の場合はグラン・フーgrand feu(フランス語で高温を意味する)と呼ばれる高温焼成であり、普通のエナメルより遥かに高い温度で焼き上げる。色味が美しく、しかも丈夫なガラス質を持つ高温焼成は、しかし決定的に歩留まりを悪くする諸刃の剣だ。そしてそれをあえて行う腕時計は、生産効率ではなく、芸術的完成度の方が優先することになる。