100年後に家宝になる腕時計 第二回

エマイユとは「七宝焼」に近い美術嗜好品

 しかし、それはまだ基本的な条件だ。家宝となる「エマイユ」は、もう一つの日本語訳である「七宝焼」の意味により近い。すなわち色彩を伴い、美術品を志向した腕時計である。

 日本と七宝焼の関係は古く、奈良時代の宝物を収めた正倉院には、七宝焼の鏡がある。七宝焼は既に8世紀には、中国を経由して日本に伝わっていた。そのルーツを辿っていくと、シルクロードを逆走して中近東に至る。

 ここが七宝焼の発祥の地である。そのルーツからは東方だけでなく、ヨーロッパへも七宝焼の製品が輸出されて珍重され、優れた技術が伝播していった。その技術を我がものとして極めた都市のひとつが、じつは現在のスイス時計の聖地ジュネーヴである。

 もともと彫金の盛んであったジュネーヴではエマイユの優れた工芸品が数多く作られ、次いで当然のようにまず懐中時計の装飾に導入された。

 それは注文者やその家族の肖像画を描き、自然のモチーフを再現し、より図案化された抽象的なパターンにも使われた。この時代の名品は、ジュネーヴ市内にあるジュネーヴ時計・七宝博物館美術館でいまも鑑賞することができ、その緻密さと豪奢さには圧倒される。

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