昨年3月の東日本大震災時、福島第一原発事故時に首相だった菅直人衆院議員。首相退任後は初めてとなる記者会見を31日に東京都内で行い、当時の心境や、今後の脱原発への決意を語った。
首都圏3000万人避難も頭に
菅直人前首相
「約一週間は、公邸には戻らずに夜も官邸で防災服を着たまま、ときおり仮眠をとっていました。官邸で一人になった時には、考えることは一つでした。この事故がどこまで拡大するか、どこで収束に向かうのか。最初の一週間は、常に頭の中を駆け巡っていました」
福島第一原発1号機が3月12日に爆発を起こして、2、3号機にも以上が発生した。さらに定期点検中だった4号機までも使用済み燃料プールに置いた核燃料は、まだまだ片づける状態には程遠い。
原子炉への海水注入の意思決定、さらには、東電による「全面撤退騒動」など現場、東電、官邸で意思疎通がかみ合わず混乱。15日未明には東電本店に自ら乗り込んで指示まで行ったほどだった。
「今回の事故は、スリーマイル、チェルノブイリをも超える重大事故でした。化学プラントの大きな火事でも3日か1週間か、燃料が燃え尽きるまで何日か待てば鎮火しますが、原発はウランや半減期が2万4000年のプルトニウムなどもあり、火災ならば永久に鎮火しないということです」
菅氏は、首都圏3000万人の住民避難という最悪のシナリオも考えたという。