「60歳以上(の幹部)は死んだっていい」の真意
「首都圏から3000万の住民が避難しなければならないことも十分ありえると感じたわけです。東電、自衛隊、警察、消防の現場で命を賭して頑張ってくれたことが、結果として紙一重のところで原子炉に水が入って温度が下がり、幸い最終的にはそういう事態にはならないですみました」
事態はもっと悪くなる可能性もなかったわけではない。だが、最悪という事態になった際にはどのような意思決定をしなければならなかったのだろうか。また、菅氏は実際には何を考えていたのだとうか。
「チェルノブイリでは多くの軍人に出動命令が出たと言われます。セメントを原子炉に放り込んで石棺を作り、その過程で数千人の軍人が命を落としたという報道もあります。出かけて行けば必ず死ぬということが確実な場所に、そういう所に誰かに行ってくれと言えるかどうか、本当に命令できるかずっと考えておりました。その決断はしないで済みました」
15日未明に東電本店に乗り込んで、東電の勝俣恒久会長(当時)らに、自身も含めて60歳以上の幹部は死ぬ覚悟で現場に行く可能性を述べた。こうした行動の裏にはそのような考え方があったからだ。
「総理として、そういうことを経験し、180度と言ってもいいくらいに原発に対する考え方が変わりました」と菅氏。新人議員時代は再生可能エネルギーを指示。しかし、国策でもある原子力発電については、受け入れざるを得なかったようだが、また新人時代に立ち返った。