ワハハ帝国の後継者と周囲が見る
1982年1月生の宗馥莉さんは、ワハハ集団創業の5年前に誕生した。彼女が小学生の頃はワハハの発展期。両親は仕事に忙しく、学校が終わると鞄を背負ったまま会社に向かい、食堂で夕食をとっていたという。
宗馥莉さんは、当時から両親の生活はとても質素で、自分が大富豪の子供だとは一度も思わなかったと話す。小さい時から、両親と接する時間が少なかった彼女は、1996年に中学を卒業すると、早くも母国を離れアメリカに渡った。その4年後にはロサンゼルス・ペパーダイン大学に入学し、国際ビジネスを専攻。2004年に卒業後帰国し、ワハハ集団入りした。
2005年に父親の“ワハハ帝国”に入って以来、彼女は周囲から後継者だとみなされている。そんな期待に応えるべく、7年間で、任された工場の規模拡大など様々な成果をあげてきた。宋慶後氏は自分の娘の事を「小さい頃から、既に宗家の風格があった」と評する。
だが、中国の伝統的な考え方を守り続け、“人情”を第一に経営をしてきた父親と、アメリカで最新のビジネス教育を受けてきた娘との経営方針には、隔たりがある事も確かだ。
「一生ワハハが恋人」という彼女は偉大な父の後を受け継ぎ、企業を発展させる事ができるのか。中国経済が転換期を迎える中、今後、二代目の力が試される。