老舗プロレス団体「全日本プロレス」を、再生支援企業のスピードパートナーズが買収した。全日の青色吐息の経営の中で、今後1年で新日本プロレスに追いつき、3年後に4大ドームツアーと壮大な目標を打ち出した。ここで再浮上してくるのが、プロレス界初の株式上場話だ。
全日移籍は上場のため?
類まれなスター性で50歳を過ぎた現在でもプロレス界の顔であり、全日本プロレスの会長でもある武藤敬司氏。同時に野心家でもあり、周囲からの勧めもあり、上場には高い関心を持っていたのだという。そして、2002年の新日本プロレスから全日への移籍は、株式上場も一つの理由だとされた。これは、一般に広く知られている話ではないが、業界、マスコミの間では知られた話だという。
しかし、実際にはパイが縮小していくばかりで、いつしか、今日、明日を生きることで精いっぱいとなってしまった。最大手の新日本もリストラや身売りを経験するなど、そうした中で「むしろ10年以上も全日を存続させたのは、武藤さんの最大の功績では?」(スポーツ紙記者)というほどだ。
「ファイトマネーは気の毒になるくらいの額で、遅配、減配は当たり前でしたよ」(同)。新日時代の武藤氏らスター選手の全盛時代は、年収で3、4000万円はあったともされるが、そんな時代はすでに忘れ去られている。
「リング上は進化し尽くした感はありますが、今後の展望がまったく見えない産業でしょう」(同)という中で全日本の前に現れたのが、スピードパートナーズである。
武藤氏は、同社に100%株式譲渡するしか、他に方法はなかった。