株で儲けた40億円は身に付かず
「今はそんなことできますか、暴力団は口座を開けないばかりか、保釈中のわしもだが、反社会的といわれる人の株参加は認められない。バブルの頃は仮名・借名が許されたが、今は他人名義で株取引はできない。バブルの頃はブラックマネー、アングラマネーを持った人が株に投資することができる環境にあった。株で勝てば売買代金の1%を税金として払えば問題はなかった。今は証券監視委員会が金の動きに目を光らせ、金の出所まで厳しく問われる。株の世界はがんじがらめだ。
数多くの仕手を手掛け、その名を知られていたコスモポリタングループを率いた山口組系の元組長、池田保次とは裏社会の情報源として検事時代から付き合いがあった。池田が仕掛けた雅叙園観光ホテルやタクマの仕手戦で、田中は池田と敵対する側の代理人に立った。池田が資金繰りに窮しているのは聞いていが、彼の失踪は88年8月だった。
元ヤクザの池田が、ヤクザ世界のアングラマネーを運用していたことは想像に難くない。ヤクザの中には仕手筋につぎ込んだカネが回収できず、身動き取れなくなった連中も少なくない。池田はドラム缶に入れられ、生きたままコンクリート詰めされ、大阪湾に沈められたという噂が流れた。検事時代から付き合いのある池田は、仕手戦の最中でもえげつない手を使うこともなく、どこか憎めない人物であった。自分と相通じるところがあったような気がすると田中は振り返る。
「株の儲けは博打と一緒でしょせんはあぶく銭、身につかん」
89年末、3万8915円の最高値を付けた日経平均株価は翌年10月には2万円を割るまでに下落する。加藤の勧めで田中も東急電鉄株をかなり購入した。だが、東急電鉄株や他の株も軒並み下落し、バブルの紳士が皆そうであったように、田中も儲けた40億円以上の金を失い、マンション等の不動産もすべて処分することになる。(文中敬称略)