やしきたかじん、そのお金と最高の人生

 歌手でタレントのやしきたかじんさん(64、本名・家鋪隆仁)が3日亡くなった。食道がんの治療を行い療養中だった。たかじんさんの生前の豪勢なお金の使い方や、北新地や祇園など夜の街での武勇伝など、エピソードに事欠かない。お金と武勇伝について今一度、振り返ってみることにする。


やしきたかじんさん公式サイトより
 権力におもねることなく、それでいてスターとなり、大金を稼ぎ、そしてモテた。まず、一言で表現するならば、男性としてこの世に生を受けて最高の人生だったのではないだろうか。

 多くのタレントが仕事を求めて東京に行く中で、自ら進んで関西ローカルの仕事に特化した(正確には全国ネットを拒否)。権威や、筋が通らないものを嫌い、自由な大阪をホームグラウンドにしたからだ。

 東京では、細かく指示が入った台本を渡されることが常だが、たかじんさんの場合は進行表だけ。「●●コーナーへ」「たかじんトーク、よきところでCM」など、ほとんど「お任せ」状態なのである。しかも、実際にトークの時間が延びても、まったく構わない。

 好きなようにやって、関西ローカルでも2ケタの視聴率を挙げていたのだ。

 そこでギャラの話だが、かつて、ある番組絡みで訴訟となり、その裁判で提出された資料の中には、1本あたり130万円との記述があった。局や番組によっても金額は違うものの、百数十万円をもらっていたことは間違いない。

 大阪などローカルを拠点にするタレントで、1本あたりのTV出演で3ケタのギャラを手にできるのは、たかじんさんと、もう一人の大物司会者だけであることは、関西のメディア、芸能関係者の間では周知の事実でもある。ちなみに、国税庁が公表していた高額納税者名簿の中には、たかじんさんの名前はあったものの、1000万円台で推移していた。年収は1億円を超えていたのではないかと推測される。

 製作費が東京より1ケタ少ないローカルで、このギャラを託されるという意味はとてつもなく大きい。ちなみに、2人の事務所はともに個人事務所でもあり、利益も大きい。

 また、タワーマンション好きとしても知られ、東京・六本木、札幌にも購入していたとの報道もあった。大阪市内のマンションでは自ら料理をふるまったり、ビデオを数台所有しテレビをチェックするなど仕事の研究にも余念がなかった。業界の裏話、夜の街の艶話の他にも、タレントには珍しく、TV番組や俳優の演技も鋭く切るなど、ネタのストックは常に豊富だった。

 危険すぎるトークは、芸能界の中にも多くの隠れファンを持つほどだった。某ミリオンアーティストからも、トークを学ばせてほしいと頼まれたこともあったと聞く。ちなみに、それは断ったそうだ。

 人から好かれるだけに芸能界、政財界の大物たちの間でも「顔が利く」との評判があった。だが、あらかじめ言っておくが、そのことを己の利益を得るためや、力を誇示するためには決して使わなかったからこそ人望が厚かったのだろう。宮根政司さんのフリー転身、北野誠さんの芸能界復帰をはじめ、芸能界以外でも、橋下徹氏の政界入りの後押しや面倒見の良さを見せている。

 安倍晋三首相が昨年、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演。現職首相がバラエティ番組にするという異例の出来事も、たかじんさんの人望を示す一例であろう。

 そして、私生活での伝説は数が大きすぎて列挙することができないほど。本人がTVで語ったところでは、大阪・梅田のぼったくりバーに入り、ビールで6万円請求されたことに激怒。ただし、それは安すぎるという意味だ。2本注文して30万円請求させて、支払って店を出たという逸話もある。

 北新地の高級クラブでもハシゴは当たり前で、弟子がお世話になっているということであいさつに行った、ビートたけしさんも「(良い意味で)あの遊び方は、人間じゃない」と驚いていたほどだ。一晩で数百万円を使うことは当たり前だった。

 当然、女性にモテないはずがないだろう。

 3度の結婚を経験している。昨年秋に、32歳年下の女性(32)と結婚し、1993年には15歳年下のモデルと2度目の結婚(のち離婚)している。最初の結婚については、あまり触れることはなかった。

 昨年の結婚の際には死期を悟っていたかどうかは定かではない。しかし、たかじんさんの他人に配慮をする性格としては、相続としてそれなりの資産を用意していたのではないか、と思われる。

 ゆかしメディアは30、40歳代の読者がほとんどだが、あと、2、30年、これほどまでに人から愛され太く長い人生を送ることができるだろうか。ある意味で、人もうらやむ人生だ。

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