高校球児、その後成功した人は? 上場企業社長、ベントレー社長に意外な人も

上場企業社長、年商64億円ベントレー社長たちも

 ◆坂本幸雄 2012年、当時としては戦後最大の負債4480億円で経営破たんしたエルピーダメモリ。その当時の社長坂本氏は、群馬の強豪校・前橋商業で高校3年時に自身のエラーで甲子園出場の道を閉ざした経験を持つ。その後は教員になって高校野球を目指そうと日体大に進むも、教員試験に不合格となった。

 紹介で入った米半導体大手テキサス・インスツルメンツでは、埼玉県内の倉庫係に。しかし、ここから業務改善に取り組んでいき、最終的には取締役にまでなった。その後エルピーダに転身し、低迷する日本の半導体業界で活躍した。エルピーダは経営破たんになったものの、坂本氏がトップでなければもっと破綻は早かったとも言われており、一定の評価は得ている。

 ◆松谷竜二郎 大阪市立高等学校出身。全国屈指の激戦区である大阪で公立高校出身ながらも社会人の大阪ガスを経てプロ入り。投手として巨人、近鉄と渡り歩き、引退後はOBの紹介もあり建設業界へ転職した。経験ゼロから勉強して実力を認められるようになり、スピンオフした会社で社長となった。大阪駅前のヨドバシカメラ、虎ノ門ヒルズの工事にも関わり、会社の年商は40億円に。

 ◆浜中清次 広島商業で甲子園出場、後に広島カープの監督にもなる達川光男氏の1年後輩にあたる。そして、主将とし出場したて甲子園では優勝を経験している。現在は、地元でベントレー、マセラティ、アウディなどの高級輸入車ディーラーで年商64億円の社長となっている。

 ◆佐山展生 洛星高校、京大と野球部。高校の京都府予選ではベスト8まで進んだが敗退した。帝人、三井住友銀行などを経て、GCAサヴィアン、インテグラル代表などを務める。阪急HDのアドバイザーとして村上ファンドと対峙し、阪神電鉄の経営統合をまとめた。また、ワールドのMBOや、現在はスカイマークの再生に乗り出している。

 ◆岡崎義人 浪速高校、京都大学と野球部で過ごした。後に阪神電鉄に入社し、阪神タイガース球団社長となった。勝負強さは特筆もので、ドラフトのくじ引きで江川卓氏、岡田彰布氏を引き当てる。さらには、21年ぶりの優勝となった1985年の阪神日本一にも球団社長として立ち会っている。


 他にも江川卓氏と高校時代にバッテリーを組んだ亀岡偉民・衆院議員、藤井裕久・元財務相(筑波大付)、小泉進次郎衆院議員(関東学院六浦)、宇宙飛行士の若田光一氏(県浦和)らも球児だった。

 ちなみに球児たちの頂点に位置するエリートである、プロはどうなのか。

 セ・リーグのある球団職員は「引退後に野球の仕事につけなかった場合には、心に大きな穴が空いたようになります。野球以外にお金の稼ぎ方がわからない上に、普通の金銭感覚ではないので、久しぶりに名前を見るのが、事件を起こした時という場合がないわけではありません」という。

 また、パ・リーグの元選手は「自分も一時期そうでしたが、引退後に訪問営業のような仕事をする人は多いです。実際にそこそこ話を聞いてもらえたりもしますが、どんな仕事についても違和感を感じるようになって長続きしない人も多いです。やはり、忍耐力があるかどうかだと思います」という。

 2010年12月に元プロ野球選手ら10人が、米国不動産事業に投資して、東京国税局から約5億円の申告漏れが指摘されるという事案があった。国内事業の黒字を米国の不動産事業の赤字と相殺することで節税を目的としたものだが、表に名前が出なくても意外に稼いでいる人もいるということなのだろうか。

 今の高校球児たちが数年後はどうなっているだろうか。

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