年率62%、伊藤忠にケンカを売る空売りヘッジファンド、チェイノス【ヘッジファンドマネジャー列伝①】

年率62%、60億ドルを操る男

 日本の株式市場に衝撃が走ったのは、2016年7月27日のこと。
 アメリカの投資ファンド、グラウカス・リサーチ・グループが、「伊藤忠商事が1531億円相当の減損損失の認識を意図的に回避し、2015年3月期の当期純利益を過大報告したと考えている」という調査レポートを公表したのだ。
 レポートは42ページ(日本語版は44ページ)にわたる膨大なもので、伊藤忠の株価は一時、年初来安値を更新した。

 このレポートを発表したグラウカス・リサーチ・グループとは何物か。上場企業の不正会計を調査し、空売りを仕掛けて公表するファンドで、これまでも数々の会社の不正などを暴いてきた。
 不正の事実を公にすることで、その会社の株価は大きく下落することになる。同ファンドは下落時に儲かる空売りをすることで、大きな利益を得ている。
 その会社のトップに君臨するのが「金融界の探偵」の異名をとるヘッジファンド・マネジャー、ジェームズ、チェイノスだ。2001年にはアメリカのエネルギー会社大手のエンロン社の不正会計を見抜いたことで有名だ。

 チェイノスの率いるヘッジファンド、キニコスの運用資産は約60億ドル、2008年には年間リターンがプラス62%に達した(手数料引き前)。
※空売りとは何かについてはこちら

異色の「空売り専門ヘッジファンド」

 チェイノスの手法は空売りだ。一般的な投資は「上がりそうなものに着目する」が、空売りは「下がりそうなものを見つけ出す」そのためチェイノスは様々な金融犯罪や投機事件など、価値を下げそうなものや過去の大きな市場の変化の歴史に精通している。

 チェイノスはエール大学で経済学の学位を習得し、シカゴでアナリストとして勤務していた。その際、株に関するレポートを書いたのがきっかけで、偶然にも空売りのチャンスを見つけたという。

 その会社は多額の負債を抱え、不正と言われてもおかしくない会計処理を行っていた。株価は約50ドルまで上がっていたが、行き詰まったのちに暴落が起こり、その後は3ドルまで下がった。

 チェイノスは「空売りは充分にリターンを出すことができる、また、フォーチュン500に掲載されているような企業でも、何かしら問題はないかと考える、またお金を払うので徹底的に調査してほしいと思う人からの需要はある」と考え、1985年、キニコスを創業した。

 チェイノスの得意とする「空売り」は現在でこそ市場において一般的な手法ではあるが、その当時はまだそこまでメジャーではなかった。現在においても、誰もが簡単にできるものではない、特殊技能とも言うべき方法である。チェイノスの考えに対し、懐疑的な声のほうが大きかった。

 創業の翌年、キニコスのアーサス・パートナーズ・ファンドは1986年、35%のリターンを記録した(手数料差引前。その年のS&Pは18.6%)。1987年にはベンチマーク指標が5.1%増に対し、ファンドのリターンは26.7%増を記録している。

空売りは悪なのか?

「ほとんどの人は、物事がマイナスに働くことを好む環境ではうまく仕事をすることができない」
 チェイノスは語る。空売りとは、価値が下がることを見越して売りをしかけることでリターンを生む手法ゆえ、ヘッジファンドマネジャーは目を付けた株が下落してくれることを願うことになる。
 一般的な動きとは逆で、空売りが難しい手法であるゆえんだ。

「空売りは悪である」と非難されることも多い。
 今回の伊藤忠の件でも、空売りファンドが「不正会計」を公表することで、同社の株価は大きく下落した。
 空売りがその会社、引いては国に悪い影響を与える可能性は確かにある。株価下落は少なからぬダメージがあるだろう。

 2008年、SEC(米国証券取引委員会)で金融株799種に対する3週間の空売り禁止令が出されたことがある。空売りが及ぼす悪影響を警戒したのだ。
 その判断は、間違っていた。空売り禁止令を出したSEC委員長(当時)のクリストファー・コックスは、その決断が在職期間中で一番の間違いであったと自身が認めている。
 空売り禁止令が出されていた間、市場では何が起こったか。市場の流動性は低くなり、価格の動きは遅れ、スプレッドは広がり、株価は下がった。買いトレードなどそのとき禁止されなかったトレード戦略も、この規制によって妨げられた。

 空売りについて、チェイノスはこう語る。「空売り投資家こそが、過去10年間に悪名高い財政危機の数多くを発見した張本人である」と。
 彼によると、不正会計などを探し出すという意味では、空売り投資家こそが正義の味方であることも少なくないという。

 空売り投資に必要なのは、決算書だという。チェイノスは言う。「決算書を見れば、企業の将来の成績がどうなるかを予測できる。それ以上に良い方法など存在しない」と。学生に、将来のために何を学んだらいいかを聞かれると、彼はためらわずに「会計学」と答える。

「結局のところ、ビジネスを司る言語は数学。企業が自分たちの決算書を使いこなす方法を理解できなければ、空売りの投資家として成功することは絶対にない。これが結論だ」

中国の不動産バブル崩壊をいち早く予言

 チェイノスは、中国の経済成長に対していち早く警鐘を鳴らし、大規模な空売りを行ったことでも知られている。
 中国の成長はまだまだ続くと考えられていた2009年、自身は中国に対して弱気であると意思表示を行ったのだ。
 市場からは嘲笑されたが、自前のアナリストを定期的に中国に送り込み、現地の不動産市場をつぶさに観察してきたうえで結論付けたことだった。

 チェイノスが中国に対し成長の限界を感じたのは、建設ラッシュなどがあまりにも加熱していることからだった。
 チェイノスが指摘したのは、中国が金融危機による急速な景気低迷を恐れ、資産を成長させるために、主に不動産に対し大規模な貸付を行ったことだ。過剰な投資は反動を招くことになる。

 大規模な投資の結果住宅需要も落ち込んだため、現在はマンションにも空きが目立ち、ゴーストタウンも存在するようになった。
 チェイノスの試算によると、建設コストで見た中国の住宅の市場価値は、同国のGDPの300〜400%まで高まっている。

 長期のデフレを招くことになった1989年の日本の不動産バブル末期が約375%だったことを考えると、チェイノスの指摘通り、中国もかなりの危険水域に入っていると言える。

 チェイノスが中国株を空売りしたのち、中国の不動産は完全にバブルで、国が問題を抱えるようになったことを中国人民銀行(中国の中央銀行)、IMFも認めた。チェイノスの先を見る目の確かさが証明された形だ。
 キニコスは香港H株を通じて、不動産開発業者や中国の主要銀行のほとんどを空売りしている。

 空売りのスペシャリストのナを欲しいままにしているチェイノスだが、不正会計を告発した伊藤忠は2017年3月決算で過去最高の純利益を記録、その後も好業績を発表し、同社はさらに利益を伸ばしていく勢いだ。
 チェイノスの分析は正しかったのか、疑問符がつけられている。

「不景気でもリターンを出せる」のが空売りの強みである一方、好景気、上がり続ける市場ではその強みが弱みにもなる。

 現在は空売りでリターンを出すのが、非常に難しい市況にある。

 チェイノスですらそうだ。その証拠に、チェイノスの空売りをしない一般的なファンドは好成績で、買いポジションで幅広い資産に投資するヘッジファンド「グローバル・キャピタル・パートナーズ」は2017年初から9月まででプラス15.2%、「キャピタル・パートナーズ」はプラス18.2%となっている。ともにヘッジファンドの平均値を上回る運用成績だ。

有名企業にも空売りを宣言、その実績は

チェイノスはリーマンショック後の長い上げ相場の中で、運用は苦戦している。しかし不利な環境の中でも運用を継続していけるのはその確かな手腕によるところが大きい。

 2012年ヒューレットパッカード(HP)は約110億ドルを投じて買収した業務用ソフト大手の英オートノミーの不正会計が表面化し20%強下落した。HPはオートノミー株の市場価格に64%上乗せした水準で買収している。その後HPはオートノミー関連で88億ドル(約7800億円)の減損処理を行い、当時のCEOは引責辞任へと追い込まれた。チェイノス氏はこの買収について「度重なる買収で企業価値が破壊されている」とHPの高いプレミアムを付けた買収ついて批判していた。

 また2016年電気自動車メーカーのテスラ社が、太陽光発電関連のソーラーシティの買収が発表された。イーロン・マスク氏はテスラで最高経営責任者を務め、またソーラーシティの代表取締役会長を務めていたため、事実上のテスラによる業績不振のソーラーシティの救済合併といわれていた。これに関し、チェイノス氏は「最悪の企業統治の一例だ」と糾弾している。これ以降、チェイノス氏はテスラに関する空売りを強め、イーロン・マスク氏との討論は激化していった。2018年夏には突如マスク氏が空売り勢などの株主の意見に左右されずに経営することを目的に、株式を非公開化する考えをツイッターに投稿した。これは市場に混乱を与え高値からは株価は26%の急落、空売り勢のリターンへと結びついた。この非公開化は、後ほど撤回されたが、米証券取引委員会はマスク氏を株価操縦の罪で提訴し、①テスラ社とマスク氏がそれぞれ2000万ドルの罰金を当局に支払う②マスク氏最低3年間は会長職を退く(CEOは継続)③独立した委員会を新設して、マスク氏による投資家とのコミュニケーションを管理するといった内容で和解した。

 以上のように振り返るとチェイノス氏は企業統治をおろそかにした企業は最終的に株価が下がる、という投資の基本を行っているようにも思う。日本でも不正会計が多いのは、オリンパスのような企業合併に関するものや、IHIや東芝のような複数年にわたったプロジェクトの利益計上を早める等等、会計処理上の脆弱性をついたものが多いという共通点が見つかる。このような企業への投資は一度確認してからでも遅くないだろう。

 

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 本記事は、2017年2月に出版された『富裕層のNo.1投資戦略』(高岡壮一郎著・総合法令出版)の草稿を、ゆかしメディア編集部が編集したものです。
 本記事の完成版はこちらでご覧いただけます。

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