世界最大のヘッジファンドはどのくらいの金額を運用しているのか? 答えは1500億ドル(15兆円)以上だ。小さな国の国家予算を優に超えるだろう。これだけの金額を、1つの会社が扱っている。
彼自身二度の生涯功績賞を受賞しているほか、ブリッジウォーターも数十の優秀賞を受賞している。
米専門誌インスティチューショナルインベスターズの発表したヘッジファンドマネジャーの報酬ランキングは堂々の3位入り、その額は14億ドルだ。
リーマン・ショックを乗り切った「相関性をなくす」
ダリオは、過去に起こったことに対し市場がどのような反応を示したかを詳細に分析し、また同じようなシチュエーションでも、市場の反応は異なるものだった場合にその原因や変数が何だったのかを導き出す。
その変数を取り除くことで、ビジネスを行うための普遍的法則を得ていく。
2006年、ダリオは1つの結論を下した。それは「アメリカ経済は破産寸前の危機的状況にある」ということだ。
この状況を打開し、クライアントの資産を守るために彼が行ったのは、日本の「失われた10年」や1980年代の中南米の債務危機などの研究だった。それらの研究から得られた結論をもとに起こしたアクションは、アメリカの危機に対しもっとも影響が少なそうな財務相長期証券と金と円に投資資金をつぎ込むことだった。
ダリオは「投資家の最もやりがちな失敗は何か? それは過去にうまくいったことがこれからも継続してうまくいくと思いこんで、そこにさらに注力してしまうことだ」と語る。
2006年、ブリッジウォーターは世界中の債券と為替を組み合わせた従来型の口座管理をやめた。アルファとベータを分離すること、これこそが資金を管理する最善の方法であるとブリッジウォーターは結論づけていた。
積極的な管理(アルファ)でリターンを増やし、そこから防衛的に持っているポートフォリオ(ベータ)のリターンを差し引くことで、クライアントは希望通りのリスク目標を指定することができ、それぞれに最適なポートフォリオをつくることができる。
ダリオは気がついた。ダリオがマーケットと無双間でいられる方法を探しているときに、ほかの企業はマーケットとの相関性を強め続けていたことに。
2003年、ブリッジウォーターはヘッジファンド全体の90%以上が株式市場と相関関係を持っており、マネジャー同士も互いに多かれ少なかれ相関性を持っていることを指摘した。「大事なのは、多くのヘッジファンドがその戦略やリターンの中に、たくさんのベータ(市場全体に関連するシステマティックリスク)を埋め込んでいる点だ。
投資家は、自分が投資しているヘッジファンドが持つこれらのシステマティックリスクの意味を考える必要がある」
2008年春、ブリッジウォーターはクレジット対デフォルトのスプレッドが社内のリスク基準を超えたことを受けて、リーマン・ブラザーズやベアー・スターンズなど複数の投資銀行で建てていたポジションをすべて解消した。
その1週間後、ベアー・スターンズは内部崩壊を起こした。ダリオの読みが正しかったということだ。
同年に起きたリーマン・ショックで、ダリオの読みは現実のものになった。この年、ヘッジファンドの9割が損失を出し、ほとんどのファンドは20%近くまで下落、クライアントに対して下落時の防衛手段や絶対収益を提供できずに終わった。
ブリッジウォーターはその波に巻き込まれることなく、むしろ12%の利益を得ることができたのだ。
ダリオは「相関性を持たない」ことを重要視した。
彼が基準にしたのは「クライシス・インディケーター」だ。これは主要なマーケットがそれぞれマーケット全体のリスクとどれほどの相関性があるかを見るための指標だ。
ブリッジウォーターが創業以来、株主資本の3~4倍程度の資産しか持たず、常に業界標準よりもそのレバレッジを低く保つことができたのも、この指標によるところがある。
実はダリオの考えと対照的だったのがリーマン・ブラザーズで、2008年に崩壊する直前のレバレッジは40倍以上になっていた。
レバレッジの使用を制限していることが、ブリッジウォーターが30年以上も生き残った大きな理由の1つであるとダリオは考えている。「レバレッジはロシアンルーレットと同じだ。いつか必ず頭に銃弾を食らうことになる」とも語る。
「ある一定期間に起こるリスクの程度によって、特定のマーケットが受ける影響の中身や規模が変わる」という。経済状況が悪化したときや債務不履行のリスクが高いときなどは、財務相長期証券(Tボンド)のベータがよくなり、証券のベータが悪くなる。
各商圏ごとにベータの種類もさまざまだ。「アルゼンチン株や、特定の新興国の通貨などを検討してもいい。どれにしても、世界のリスク環境の変化を見て、それに合わせて調節できるベータがある。だから、我々はポートフォリオを組み立てるときにそういったことに注意を払うのだ。常に更新されているコンピュータシステムのようなものだ」
通貨への強い関心
レイ・ダリオは父親はジャズミュージシャン、母親は専業主婦の家庭に生まれ育った。小さい頃から人に言われた通りにする、暗記することが嫌いで、自分が欲しいものはどうすれば手に入れられるかを考えるのが好きだった。
12歳のとき、ニューヨーク州マンハセット市の自宅近くにあったゴルフクラブで小遣い稼ぎのキャディーの仕事を始めた。常連客の多くがウォール街の投資家で、プレイの最中も株の話が飛び交い、ダリオ少年はそれらの話をとてもおもしろそうだと感じた。
その後ダリオはウォール・ストリート・ジャーナルを読み込み、自分が定めた基準を満たす銘柄を探し、買えるものを買うようになった。
最初に買ったノースイースト航空の株は購入後3倍に値上がりする。
「そのとき損をしていたら、違う道に進んでいたかもしれない」
彼は後日、そのように語っている。
最初の成功体験を得たダリオはフォーチュン誌を読み、企業の年次報告書を取り寄せては熟読、研究するようになる。研究するうちに生じる疑問から学ぶを繰り返していくうちに、独学で空売りを学び、高校生のころには数千ドルの価値を持つ株式ポートフォリオを構築した。
ロングアイランド大学に入学し、金融に関する授業を選択したことで、彼の金融に関する知見は飛躍的に伸びた。大学卒業後、ハーバード・ビジネス・スクールへの入学が許可され、さらに学びを深めていく。
1971年夏に起きたブレトン・ウッズ体制の崩壊に、彼は強い印象を受ける。通貨危機の与える影響の大きさを知り、同時に通貨にも興味を持ち、通貨市場の研究に没頭していく。
メリルリンチで助手として働く機会を得るが、そこでは後のような実績を残すことはなかった。だが、その経験はあとになって役立つ。
1973年には最初のオイルショックが起こり、FRB(連邦準備制度理事会)が金融政策を厳しくしたことで、大恐慌以来最悪となる弱気市場を迎え、商品先物取引が急速に伸び、証券会社は新たな部門をつくる必要が出てきた。そのときダリオはメリルリンチ勤務の経験を買われ、中規模のブローカーで商品部門の部長職を得る。
その後はシェアソン・ヘイデン・ストーンへ。機関投資家向けのヘッジビジネスを担当するも、酔って上司とケンカしたことでクビになり、ブリッジウォーターを設立。
様々な商品や金利や為替に投資している機関投資家にビジネスチャンスを見出したい人たち向けのコンサルティング、エクスポージャー管理を始める。
1985年、ブリッジウォーターは企業のコンサルタント会社から資金運用会社へと成長する。同社の発行していたリサーチ結果のレポートの読者だった世界銀行の職員たちが、運用をしてみないかと持ちかけたことがきっかけだ。
その後ブリッジウォーターは世界最大のヘッジファンドへの道を歩んでいくのだが、ダリオは1970年代にはストップ安に達するとトレードが終了になる先物取引で大損し、ほとんどの資産を失ったり、1994年にはFRBの予想外の引き締めにより市場が値下がりして損失を被ったりと、手痛い失敗もしている。
また、特定の取引や政策で損をした経験が、相関性を持たない、大きく分散化したバランスのよい運用へとつながっていく。
ダリオの興味は、やはり通貨にある。独立した通貨政策を持つ国と、通貨政策、金利がほかの国とリンクしている国とがある。たとえばアメリカやイギリスは独自の紙幣を印刷できるので、EU加盟国のように独立した金融政策がなくユーロがほかの国と通貨がリンクしている国よりも問題は少ないと考える。
中国は独自の紙幣を増刷できず、また独立した金融政策も持たないため、それが後々に大きな影響を及ぼすのではないかとダリオは考える。アメリカと中国で緊張が高まり、大きな通貨破たんが起こるのではないかと予測する。
彼の興味はやはり通貨なのだ。
「原理」の徹底、追求
「投資で成功する原理は、マネジャーとして成功する原理や人生で成功する原理と同じ」
ダリオは語る。
「自己主張をしっかりしながらも、同時に心を広く持たなければならない。これはマーケットだけでなく、ほとんどすべてのことに共通する真実である。
成長し続けるには自分の犯した過ちから学ぶ必要がある。そしてその過ちから学ぶことによって現実を学び、そして現実における対処方法を学ぶ。それが原理と呼ばれるものだ。現実を疑ってみたところで何の意味もない」
ダリオは、原理の徹底に強くこだわる。ブリッジウォーターの従業員は自分自身にも、同僚にも「これは本当か?」と常に問いかけるよう推奨されている。新入社員には出社前からダリオのまとめた原理について書かれた文書『プリンシプルズ』が渡される。
ダリオによると、新入社員がこの文化に慣れるまでおよそ18カ月を要するという。そして、ブリッジウォーターで働くことを望む人には真理、真実を追求することに向き合うことを求める。
彼が40年以上続けており、人生に唯一最大の影響を与えたと言うのが「超越瞑想」だ。わずか20分の瞑想が何時間分もの睡眠不足を解消する、物事に対する考え方も変わり、以前よりも集中したり、創造的になることができたと語る。
ダリオが「投資界のスティーブ・ジョブズ」と呼ばれることもあるのは、その確信性に加えてジョブズも禅に傾倒したところなどからも共通点があるからだ。
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