敵も味方もたくさんの「モノ言う投資家」ウィリアム・A・アックマン②【ヘッジファンドマネジャー列伝⑰】

 アックマンは同級生のエンジニア、バーコウィッツと2人で投資ファンド「ゴッサム・パートナーズ」を立ち上げた。26歳だった。
「よい投資のアイディアがある、それを持っている自分に投資してくれ」と言うのは怖くなかったという。
 相変わらずの自信だ。少しずつ投資を募ってくれる人を増やし、300万ドルに達すると、部屋を借り事業を始めた。

空売り、公表でひと儲け、そして転落

 アックマンのやり方を簡単に言えば「実際の価値よりも価格の安い株を買う、実際の価値よりも過大評価されている株を空売りする」だ。

 彼が目をつけたのは、ファーマーマック(連邦農業抵当公社)という、農業金融の流通市場を生み出すためにアメリカ政府によって設立された会社だ。


アックマン/Getty Images
 アックマンが同社のCEOに会って話を聞いてみて、この会社は財政が極めて弱っており、またそもそもビジネスモデルに問題があることを確信すると、彼は同社の空売りを進めていった。

 だが、この方法で実際に儲けを生み出すためには、実際に値が下がらなければならない。この会社が危ない、と世間が認識し、多くの投資家が売りに走ってくれなければ、空売りでリターンは得られないのだ。

 そこでアックマンは弁護士たちに助言を得ながら、同社の問題点に関する報告書を発行することにした。
 報告内容を知ったマーケットの反応は早かった。株価は値下がりを始めた。「その内容は間違っている!」という反論はあったが、アックマンはそれに対する反論の第二部、第三部も発行している。

 その後には政府説明責任局が同社に関する報告書を発行し、彼の考えが正しかったことが証明された。
 それによりゴッサムは7000万ドルほど利益を得た。

 調査結果公表を伴った空売りで成果を得たアックマンが、次に目を付けたのがMBIAだ。アメリカ最大の金融保証会社で、地方債の保証人としてはどこより大きかったが、ここ最近はリスクの高い債務担保証券など、儲けの多そうなものに手を伸ばしていた。
 だがそれらの商品を引き受けているリスクに見合うだけの資金を持たず、債務も過剰、そしてそれを隠すための会計操作をしている、実際のところは破綻寸前ではないか――それが発覚すれば株価は大暴落だろう。
 そう考えて同社の株を空売りし、そのときに備えた。

 あとは前回と同じように、報告書を書いて公開するだけだ。そのタイミングで、MBIAのCEOから呼び出しがあった。

 人払いをしたアックマンと1対1の場で、CEOは言った。公表をやめるようにと。
 MBIAにしてみれば、公表されてよいことは何もない。株価の暴落は目に見えているうえ、それが引き金となりアメリカ最大の金融保証会社が本当に破綻してしまえば、経済への影響は小さくないだろう。

 CEOは言った。
「君はまだ仕事を始めて間もない。この報告書を公表する前に、よく考えてみるべきだ」
 彼はほかにも「公表したらどうなるか、決してよいことはないぞ」と暗にほのめかす発言もしている。
 そのような圧力があったにもかかわらず、アックマンは報告書を公表した。

「それからはいろいろな問題が身に降りかかってきた」
 彼は言う。MBIAとは別で、社運をかけて進めていたゴッサムの合併事業に、いきなりニューヨーク州の判事が中断の暫定差し止め命令を下したのだ。
 その命令により、ゴッサムは存続の危機に陥った。投資家の利益を考えると、それまで順調に大きくなっていたファンドも、規模を縮小せざるを得なくなった。

 さらに、MBIAはニューヨーク州の検事総長のエリオット・スピッツァーに、ゴッサムがMBIAに関する誤解を招くような情報を広めていると訴えた。

 スピッツァーは、「世界で最も好戦的な取締官」として知られる人物だった。彼が本気でアックマンを有罪にするべくかかってきた。スピッツァーはゴッサムに召喚令状を出し、証券取引委員会がゴッサムの取り調べを始めた。

 アックマンは検事総長のスタッフに対して、6日にも及ぶ供述をすることになった。この争いは、その後6年間も続くことになる。
 最終的に不正行為は一切なかったことが証明されるのだが、それは数年後の話で、アックマンはマスコミに犯罪者のように叩かれ、評判は地に落ちた。
 娘を保育園に連れていくと、保護者が自分の子どもを近づけさせないようにするのを感じたという。
 そのストレスから、ゴッサムの共同創業者、バーコウィッツは会社を去っていった。

 それでも自分を信じてくれた投資家には、出資金を返さなければならない。アックマンは2003年をほぼ無償で働き、問題の解決やファンド縮小のために奔走した。

復活&ファストフードチェーンでの勝利

 2003年2月、アックマンは妻とメキシコのリゾート地を休暇で訪れた。
 そこに同じく休暇で来ていたのが、リューカディア・ナショナルの会長のイアン・カミングだ。
 カミングはアックマンに、何か新しいことをするときはリューカディアがパートナーになると言った。

 リューカディアはその頃、「バフェット以上」と言われるくらいの好成績を残していた。その会社が5000万ドルを投資してくれたことで、アックマンは復活する。
 ただし、出資には条件があった。リューカディア以外をパートナーにしないこと――それは、これまでの投資家からはお金を受け取れなくなることを意味する。
 アックマンは「パーシング・スクエア」という新会社を設立した。

 復活したアックマンは、ファストフードへの投資を進めていく。2005年に行ったのが、日本にもあるチェーン、ウェンディーズへの投資だった。
 パーシング・スクエアの投資家たちが共同で投資するファンドを立ち上げて、ウェンディーズ全体の10%近くに当たる株を購入。
 その当時ウェンディーズの提供した料理に人間の指が入っていたという騒動があり、株価は下がっていた。

 ほかにもウェンディーズの子会社が高い営業利益を生み出していたことなどから、その会社をスピンオフ(会社の分離新設)するだけで高い利益が見込めるなどが、投資の理由だった。

 パーシングはウェンディーズ株の購入後、提案書をまとめ提出した。上記のスピンオフのほかに、様々な改善案を盛り込んである。だが、ウェンディーズ側は議論を拒否。
 それでもアックマンは投資助言会社にこの計画を実行したらどうなるかを細かく分析してもらい、ウェンディーズは提案に従うことになった。

 アックマンはその後もさらなる経営改善を提案、ウェンディーズのCEOは取締役会で退任が決まった。

 アックマンがウェンディーズ株を購入したのは2005年4月。2006年11月に売却したとき、株価は38ドルから71ドルに上昇していた。数億ドルの利益を生む投資となったのだ。

 その後アックマンは、同じくファストフードチェーンのマクドナルド株も購入する。ウェンディーズと同様に、スピンオフなどを駆使すれば簡単に利益を大幅に改善できるところがたくさんある、そう考えていた。

 店を構えるスタイルのお店は、店舗で売上が立っており、そもそもそれを目的にスタートしているので、やはりその店舗での売上を重視している。
 だがフランチャイズチェーンを展開しているならば、力を入れるべきはロイヤリティーであるとアックマンは考える。

 彼が最高のフランチャイザーだと考えるサブウェイは、自社で店舗を1つも持たない。加盟店にとってよい取引内容で、彼らがよい仕事をしたいと思うような環境が整えてある。
 そして、加盟店が売上を大幅にあげているのだ。
「マクドナルドにもそうなってほしい」
 そう考えるアックマンだが、マクドナルドは「ニューヨークのヘッジファンドなんかに指図されたくない。店は充分利益を出している」と拒否。

 店の利益といっても賃貸料や諸経費、設備投資などを引いたならば店舗はほとんど利益をあげていないことなどを指摘し、粘り強い取り組みで少しずつ取り入れてもらっていった。

 アックマンが関わった2年間で、マクドナルドの株価は2倍に成長した。マクドナルドの運営や財政は改善を続けているという。

 このほかにもデパートメントストアチェーンのJCペニー、カナダ太平洋鉄道、P&Gなどにアックマンは投資を続けていく。
 すべてが成功したわけではなく、書店チェーンのボーダーズへの投資では、2憶ドルの損失を出したこともある。

 成功と失敗を繰り返しながら、恨みと感謝を受けながら、アックマンはチャレンジを進めていく。

「ヘッジファンドマネジャーの評価は年ごとに決まる。どんなに素晴らしい成績を残したとしても、年を越えれば『またゼロからやり直し』さ」

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 本記事は、2017年2月に出版された『富裕層のNo.1投資戦略』(高岡壮一郎著・総合法令出版)の草稿を、ゆかしメディア編集部が編集したものです。
 本記事の完成版はこちらでご覧いただけます。

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