旧四大証券の一角を占めた山一證券が巨額の簿外債務を抱えて平成9年11月24日に自主廃業を決めてから、今日で20年となった。
当時の山一證券社長、野澤正平氏は自主廃業を伝える記者会見で、カメラの前で「社員は悪くありません。悪いのはすべて経営陣です」と号泣しながら頭を下げた。
その様子は「つぶれないといわれていた証券会社がつぶれた」事実と相まって強いインパクトを与え、20年を経た今も覚えているという人は多く、度々報道でも使われているシーンだ。
さて、「悪いのはすべて経営陣」と語った野澤社長だが、果たして社員は本当に悪くなかったのだろうか。世界的なテニスやバドミントンなどの用品メーカー、ヨネックスの創業者、米山稔氏が「私の履歴書」にて「今思い出してもはらわたが煮えくりかえる」と語った、こんなエピソードがある。
当時、上場を目指していたヨネックスは、米山氏を始め経営陣が猛烈な忙しさだった。米山氏の親族で役員の1人は、家に帰る間も惜しいということで当時会社のビルの上に住んでいたという。そのことを聞いた主幹事証券の山一證券の社員が、このようなことを語ったというのだ。
「経営者が会社の上に住むなんてくだらない。これで上場しようって言うんですか」
この発言が米山氏の逆鱗に触れた。「会社に住むのは時間も短縮できて何かあればすぐに駆け付けられる。経営努力の一環だ。それを“くだらない”とは何事か!」
米山氏はすぐに山一證券を幹事証券から外した。山一證券は大騒ぎになり、幹部が何人も米山氏のところへ謝罪に訪れたという。だが米山氏は一切取り合わなかった。
山一社員の不用意な発言ひとつで、会社は巨額の上がるべき収益を逃したわけだ。
山一證券が破綻した原因は、バブル経済の崩壊に伴う株式市場の低迷で含み損を抱えた有価証券の「飛ばし」で損失処理を先送りし続けた結果だとされる。飛ばしを続けるも巨額の簿外債務で窮地に追い込まれ、自主廃業を決定した。
直接的な原因はそれとしても、社員がのちの世界的メーカー創業者を激怒させるような、会社の体質に果たして問題はなかったのか。
「社員は悪くない」と言うが、山一證券最後の社長を務めた野澤氏は「山一は人である」と後年、取材にて語っている。
「悪いのは経営陣」の悪い部分が、現場に、社員1人ひとりに広まっていた可能性は、ゼロと言えるだろうか。
元山一證券社員で、現在フィデリティ投信の副社長を務める新弘行氏は日経新聞の取材にて、「山一證券勤務時は販売目標の達成がすべてで、最終投資家のことを考えたことはなかった」と語る。山一が自壊したことで「顧客に必要とされなければ生き残れない」という当たり前の事実を学んだという。
金融庁の森信親長官は今年4月、投資信託販売の現状を「消費者の利益をかえりみていない」と厳しく批判した。
山一證券の破綻から20年、日本経済は多くの経済危機や業界再編を経てきた。山一證券破綻の頃から改善したこともあれば、いまだに変化の兆しすら生まれていないこともある。
山一證券破綻の歴史は、今も日本の金融業界や日本社会そのものに、多くのものを投げかけ続けている。