たったひとつのファッションが、自分の一時代に大きく影響することがある。だからこそ、ストーリーのある逸品との出会いは人生の宝だと思う。
私の記憶にはっきりと残っている一番古い洋服は、小学校低学年の時に着ていた、グレーのジャンパーであった。従兄弟タカシくんの‘単なるお古’であったそれを着て、私は‘警泥’に明け暮れた。ナイロンの綿入れが暖かくて、大好きだった。しかしある日、友達はもっと可愛い‘女の子の服’を着ていることに気が付いた。お洒落とは程遠い子供であった私は、自分が男の子の服を着ていることを自覚するのに、なんと、2年もの年月を要した。
早速帰って、母に「ピンクのジャンパーを買って欲しい」……と直談判すると、
「子供は、すぐに大きくなるし、そのままでいいの! 女の子の可愛さが人生を左右するのは、18歳以降!! その時が着たら、絶対に素敵なお洋服を買ってあげるから、今は我慢しなさい!!!」……と、あっさり却下された。今となれば、簡単に理解できる‘費用対効果’に基づいた母の発言である。現代の子供には即さない、古い考え方かも知れないが、ファッションへの投資タイミングは、とにかく今ではないという母の決定であった。
この、母のファッションに対する投資ポリシーは、現在の私に大きく影響している。‘いかに無駄なく効果的か?’というのは、ファッションの大きなポイントであると思う。確かにグレージャンパーは動き易かった……それは子供として最大の効果であるし、当時は、男物が浮いて、友達が出来ない等の悪影響はなかった。……つまり、そこに投資しなくても、大きな支障がなかったのだ。
過ぎ去ってみれば、あっという間の十数年を経て、高校生活も後半に差し掛かった頃。母は突然、私に素敵な洋服や持ち物を、いろいろと買い与え始めた。本当に買ってくれる気があったことに、少々驚いたが……。その時に貰った、ラルフローレンやバーバリーの服やバッグは、私に小さな自信をくれた。その小さな自信は、私を明るく積極的にし、現在も続く生涯の友達を作ることに貢献した。
当時の私は、「ファッションによって生活が向上した」と言っても過言ではない。子供の頃、ファッションへの飢餓感があったからこそ、毎日が豊かになった。遠い昔、暖かかった少年ジャンパーで凌いだ日々のおかげである。こうして‘単なるお古’は、私の人生の中で‘ストーリーのある逸品’となった。
子供とは違い、大人のファッションは、人生に大きな影響を与えると思う。第一印象がその先の方向性を決める現実が、世の中には多過ぎる程あるからだ。
ファッションの効果を上げる最重要ポイントは‘自分を知ること’に尽きると思う。似合うファッションは、先天的な自分の印象をコントロールできる有効なツールとなり、磨き続ければ、立派なパーソナリティーに繋がる。自分を演出する小道具として、ファッションが有効に働けば、‘+α’の自分が作られ・・10人並の私も、気分は上々だ。この+αが自分の力となって、様々な壁を越えることだってある。今の豊かな生活は、地道なファッションへの追求の対価であると言っても過言ではない。
この飽くなきファッションへの探究心は、私の10年以上の会社員生活の原動力となった。そんな私が辿り着いた‘ファッション購入へのコダワリ’は、以下の3つである。
1.見た目へのコダワリ:自分をより良く、素敵に見せること。
2.着心地へのコダワリ:使い勝手には、絶対に妥協をしないこと。
3.値段へのコダワリ:自分が思う適正価格を、購入の都度設定し、それを譲らないこと。
この拘りをひとつでも外すと、好きじゃないかも?使いにくい……値段の高さゆえ勿体無い等々……結果、‘箪笥の肥やし’となる。目的を明確にし、購入時点で使用と効果をイメージして、流されずに選ぶことが、無駄買いを抑える大きなポイントだ。
また、ファッションはお金をかければ、満足が得られる単純なものではない。時には、大きく投資をすると効果もあるが、購入時期や費用対効果を考えないと、お買い物センスは磨かれない。単なる物であるファッションを、ストーリーのある逸品に仕立てるには、そのセンスも重要となるのだ。お金がある程度自由になるようになった今だからこそ、工夫で満足を得ることに、私は価値を感じている。
今すぐ買うのが適当か、ネットで買うか、アウトレットか、海外で買うべきなのか?!等、‘目から鱗的’な買い物手法を模索・発見することが、今は最高に楽しい。
一消費者の私が、試行錯誤と海外行脚をして、成功と失敗を重ねつつ導き出した、‘人生を豊かにするファッション’と‘お買い物の徒然’について、これからご紹介をしたいと思う。