この原稿を書いている今、東京ではしんしんと雪が降っている。久しぶりの積雪となるとか。こんな寒い夜は、暖かい国が恋しくなる。目をつぶると、太陽に焼かれた砂浜とぬけるような青空の間で割れ続ける、無限の波が思い浮かぶ。それは昨年フィリピンへサーフトリップに行ったときのことだ。今回はその話をしよう。
いざ行かんエンドレス・サマーを探しに!
暮れも押し迫った12月28日の深夜。私は仲間達と共に、凍てつく寒さの日本を後にして、摂氏27度のマニラのニノイ・アキノ国際空港に降り立った。出口では帰省したフィリピン人とその出迎えでごった返していた。その熱気は、現地の蒸し暑さをも圧倒するようなパワーだ。現代の日本が忘れた、強い生命力を感じ興奮を覚える。このトリップの目的はただ一つ、仲間とサーフィンを楽しむため。ここから旅の第一歩が始まる。
寒い日本とのギャップがたまらない
目的地はルソン島のウエストコースト。マニラからは陸路の移動となる。今回の旅をオーガナイズしてくれた親友が、バスをチャーターしてくれた。用意されたのは、なんと日本製の観光バスだった。40人は乗れそうなバスに、私たち一行8人で乗り込む。運転手付きで6日間貸し切りだ。まずは冷房の効いた車内で、旅の無事と良い波に巡り会えることを祈って、サンミゲルビールで乾杯! 車内はまるで日本そのままで、窓に流れる外の景色は異国という、不思議な感覚を味わいながら眠りについた。
異国なのになぜか会社の慰安旅行のような車内
悪路をガタゴト走るバスで寝ること6時間、目的地のサンファン・サーフリゾートに到着した。ホテルの真正面にモナリザ・ビーチがあり、その目の前がサーフポイントである。到着時にはまだ暗かったが、それでも無人の海で綺麗な波が割れているのが見えた。荷物を解き始める頃には朝日が昇り始め、一人また一人とサーファーがパドルアウトしてゆく。そう、ここはサーフ・パラダイスなのだ。
日の出とともにローカル・サーファーが海へと入ってゆく
準備ももどかしく、早速仲間と海に入る。一見砂浜だが、波打ち際からは堅く尖ったリーフ(珊瑚礁)が続く。沖へパドルし始めると海水温が高いことに気付き、自然と笑みがこぼれる。波待ちをしながら、仲間の顔をうかがうと、やはりみな笑顔だ。その後はもう少年にもどって、時間を忘れ大はしゃぎで波乗りを楽しんだ。
心の中も晴れ渡ってゆく……
ふと、ほんの一瞬だが日本に置き去りにしてきた日常を思い出した。普段の私は仕事に忙殺される日々を過ごしている。一日の終わりに、家族の顔を見ながらワインを飲むのが、唯一の楽しみだ。しかし、私の中に棲む少年は、それでは許してくれず、「旅に出ようよ」といつも急かすのである。波乗りを始め、海のリズムで暮らすようになってからというもの、服にこだわらなくなり、夜遊びもしなくなった。その代わり、裡なる少年を満足させるために、年に3回はサーフトリップに行くようになった。
クタクタになるまで波に乗り、大満足で海から上がる。もう仕事や日頃の憂いなど、微塵もなく忘れ去ってしまった。テラスでサンミゲルを飲みながら、眼前でいつ果てるともなく割れ続ける波を眺め、仲間達と語らう。ツマミは豚のフィリピン風バーベキュー。甘いタレにつけ込んで、串焼きにしたシンプルなものだが、香ばしくて実に美味い。表面がカリッと焼けていて、咬むとジューシーな脂が口いっぱいに広がる。さっぱりとしたサンミゲルに良く合い、グイグイすすんでしまう。
食べ出したら止まらない豚のバーベキュー
さて、このテラスは美しいサンセットを望む特等席でもある。沈もうとする太陽が魔法をかけたように、時がゆっくりとすすみ、見る者の心を溶かしてゆく。みんなの顔が夕焼け色に染まった頃、私の中の少年が満足げに囁いた。Eat, Sleep, Sruf !
黄金の時をテラスで
つづく