鳩山首相や小沢幹事長の「政治とカネの問題」や年度内の予算成立等の課題が、執筆している2月9日現在では中心となり霞んでいるようにも感じられますが、「普天間基地移転問題」という大きな課題が問われています。
前政権が、老朽化して街中にあり危険な普天間基地の米海兵隊施設を、名護市にあるキャンプシュワブという施設の沖合に作る新施設に移して、それに合わせて米軍の一部がグアムに移転する手筈を整えました。しかし、民主党連立政権では、対等な日米関係という方針で、そのことを再検討しようとしたところ、白紙撤回という政権交代には慣れっこのアメリカ側も驚く方針転換となり、全体の都合が変わってしまう先方からははっきりしろとせっつかれてしまいました。
2回に渡ってオバマ大統領に「年内解決」を約束してしまった鳩山氏でしたが結局果たせず、5月を目途に再度検討するということになりました。その間連立政権内でも現地沖縄でも「県外・国外移転」が声高となり、混迷を極めています。
私が勤務する学校では、高等学校が全国一早く沖縄修学旅行を始めて、現在でも行っています。アメリカ施政下の昭和41年度から行っていますから、今年で45回目です。私個人も、父の関係で子供の頃から沖縄には何回も訪問しており、都合30回以上沖縄には行っていますし、沖縄での知人・友人も沢山持っています。
今回は、そんな普天間基地移転問題の盲点を書かせていただきたいと思います。それは、かねてから鳩山氏が「憲法改正」を唱えていたことが棚上げされているということです。
鳩山氏は10年来憲法改正を主張していて、2004年頃にはマスコミ等にも「憲法改正試案」を掲載しています。現在それらを纏めたものが彼のホームページにも掲載されています。(http://www.hatoyama.gr.jp/tentative_plan/index.html)その白眉は「自衛隊を軍隊として明記すべきである」というものです。それだけ聞くと「軍国主義ではないか」とか「軍備拡張を狙っている」とか早とちりする向きもあるかもしれませんが、どうもそういう意味ではないようです。
戦後政治は、日本国憲法と自衛隊という矛盾した存在を「解釈」によって乗り切ってきました。しかし、近時国際貢献等の流れの中から集団的自衛権の問題も出て来て、さらに混乱をしています。内閣法制局では、国連憲章で認められた集団的自衛権について「保持はしているが行使は出来ない」と憲法解釈しています。そうなると、国際貢献の後方支援や米軍への基地提供等も実際は集団的自衛権ではないかという話になってしまうのです。
そこでPKO等の国際貢献の話が出る度、違憲か否かという議論ばかりになり、どうあるべきかという部分が不明瞭になってしまっているのです。
それを鳩山氏は乗り越える意味で「自衛隊を自衛軍として明記し、集団的安全保障も認める」という形にして、長期的な日本の安全保障体制を確立するべきであると主張しているのです。本来、その上に民主党の主張する「対等な日米関係」や日米安保を維持しながら常時ではなく「有事のみ米軍に駐留してもらう」という理論が成り立っていたはずなのです。
しかし、民主党連立政権が成立して首相となった鳩山氏から長期展望への発言は聞かれず、「自民党のようなアメリカ追従はしない」という抽象論だけが一人歩きしています。それが今回の基地移転の問題でも迷走の原因になっていると考えても過言ではないでしょう。
勿論、護憲を主張する社民党との連立が解消されてしまうと参議院の運営が困難になったり、民主党内も旧社会党右派や民社党出身者や労働組合代表等の立場の方々がいらっしゃることから、色々なしがらみで発言出来ない面もあるのかもしれません。
とは言え、年来の主張を鳩山氏が首相として発言してそのような「根幹の議論」を提示しなければ、鳩山氏が政治家になった意味合いも無くなってしまうのではないかと私は感じています。
ご存知かもしれませんが、今年の5月に「憲法改正の為の国民投票に関する法律(日本国憲法の改正手続きに関する法律)」が施行されます。驚いたことに昭和22年に成立した日本国憲法を改正する為に「両院の3分の2の賛成で発議される」国民投票のやり方も決まっていなかったのです。
本来なら、この法律が施行されるのですから、「日本の安全を米軍駐留によって守るのか、自衛隊が基本的に行って、有事のみ米軍に助けてもらうのか」を国民に問う流れにすることもあり得たのです。
当然、混乱も困難も伴うと思いますが、鳩山氏が主張するようにその場凌ぎの「弥縫策」に頼ってきた戦後政治を乗り切るにはここまでやってみるのもひとつの手段ではないかと私は感じています。
それで米軍がいなければダメだとなるなら、沖縄の方々にもご理解をいただくしかありませんし、そうではないというのならアメリカ側にもはっきりと主張することが出来るでしょう。
いささか突飛なアイディアかもしれませんが、国民投票の手段が明確化されたのなら、鳩山氏年来の主張である憲法改正を議論することも前向きな政治姿勢なのかもしれません。