バンクーバー五輪での「ヨナ・真央対決」を制して、女子フィギュアの頂点に立ったキム・ヨナ選手(19)。まだ日本ではあまり知る人がいないバックボーンとは?
1990年、韓国・京畿道の経営者の家庭に生まれたキム・ヨナ選手。スケートと出会うきっかけは母親パク・ミヒさんが与えてくれた。7歳の時にスケート場に連れて行かれると、早くも素質の片りんを垣間見せた。 スケート界に詳しい関係者によると、韓国と言えどもフィギュア選手を育てるのはお金がかかることに変わりはなく、一家は躊躇したという。ただ、当時のコーチの目には費用を免除してでも、育てたい逸材と映ったという。
だが、ここからがヨナ選手にとって地獄の始まりだった。早朝から夜遅くまでスケート一色の生活。それを管理するのが母親パク・ミヒさんだった。有名なエピソードの一つに、ある日、罰としてリンク100周を命じたことがあったというが、娘はやり遂げたという。と同時に母は100周を最後まで数えたという。韓国のスポーツらしい熱血ぶりだ。
ただ、やはり技術的な素地が韓国にはない。ジャンプを習得しなければ世界では戦えないためブライアン・オーサー氏をコーチに招へい。カナダに遠征するなどしてどんどん技術を吸収していった。入念な研究による振付と編曲。また技術をカバーして女王の座に上り詰めた。
華のある天才児・浅田真央選手に対して、キム・ヨナ選手はど根性娘。浅田選手の才能を羨ましく思い、そして存在に悩んだこともあった。しかし、ヨナ選手の執念が天才を凌駕した。
現在の年収は、フォーブスによると800万ドル(約7億1800万円)で、五輪出場者の中では長者番付1位だ。もちろん、韓国でも英雄で、ナイキ、現代自動車、国民銀行、サムスン電子などがスポンサーについている。
腰には故障も抱えていると言われるキム・ヨナ選手。リンク上ではその存在は大きく見えるものの、まだ19歳の少女。体は悲鳴をあげているのかもしれない。韓国のバラエティー番組に出演した際には、自分に子供ができたらスケート選手にはしたくないという意見を話していた。
その言葉は、これまでのすべての努力が詰まっていることの証でもある。