意外に難関!? オーストラリアのボーディングスクール

 オーストラリアのメルボルン近郊ジーロングにある Geelong Grammar School(以下GGSと略)は、英国教会の流れを厳格に継承するブリティッシュスクールです。かつてイギリスのチャールズ皇太子・タイ王室・インドのガンジー一族などが在籍したこともある屈指のボーディングスクールで、雰囲気はいたってヨーロッパ的です。

 特に、ミドルスクール最高学年(9年生)のティンバートッププログラムが世界的に名を馳せていて、一部のヨーロッパ家系では、そこに至るために代々「出生届と同時にティンバートップに願書を出せ」と言われたりするそうです。実際、ミドルスクールにはティンバートップ志望の留学生が、ヨーロッパ各国やドバイ・南アフリカ・マレーシアやタイなどアジア諸国から集まりますし、3つある附属小学校から地元オーストラリアの生徒が選抜されて上がってきますので、5年生20人・6年生40人ほどの枠を射止めるのは、桜と楓にとってちょっと無謀な挑戦だったかもしれません。

 ティンバートッププログラムを終えミドルスクールを修了すると、自国に戻ったり欧米のボーディングスクールへ移ったりしてGGSを去る生徒が相当数いる反面、シニアスクール(ハイスクール)の募集定員は大幅に増えて空席が生じ、かなり手が届きやすくなりますが、魅力も半減してしまいます。「GGSの醍醐味を満喫するならミドルスクールへ!」と、私はお奨めしたいです。

 入学するには、第一関門として、AEASテストを受験することが必須です。AEASテストとは、オーストラリアへ留学を希望する外国人生徒に対してAEAS(Australia Education Assessment Service)が施すテストで、英語力や学力を判定するための資料の1つとして、全豪のいくつかの私立学校で出願時の受験が義務付けられています。

 日本では、JEAA(Japan Education Advancement Association)が、AEASテストの日本事務局として認定されており、JEAAに登録された試験官のもとで、きわめて厳正に試験が行われます。AEASテストのスコアが思わしくないと願書を受け付けてもらえないことすらあり、日本人生徒にとっては、オーストラリアの名門ボーディングスクールの門戸を狭くする要因となっています。

 AEASテストの試験科目は、英語の口頭試問(面接)・リスニング・筆記・エッセーと、数学、知能テストです。学年別に異なるレベルの試験問題が、どの科目も全て英語で用意され、所要時間は3時間です。受験料は、当時で1人3万円でした(現在の料金はお問い合わせください)。

 得点結果は、受験後2~3週間ほどで出され、試験官に通知されます。それを、試験官が直接、各学校(この場合はGGS)に送付する仕組みになっています。

 AEASテストが終わると、次は第二関門である本試験です。あらかじめ学校側から指定された期日に、メルボルン経由ジーロングへ、家族そろってインタビュー(面接試験)を受けに赴きました。

 起伏の激しい斜面ばかりのスイスアルプスで育った桜と楓は、歩いても歩いても地平線がついてくるみたいに感じられるほど、穏やかで平らな大地が一面に広がるオーストラリアの風景に、しばし圧倒されていましたが、私の目には、もはや大きく成長した彼女たちに相応しい土壌に見えました。芝生でおおわれたGGSの緑美しいグラウンドは、伸び盛りの姉妹が思う存分、身体を動かしてスポーツに興じるのに打ってつけでした。グラウンドの一端はビクトリア湾に面しており、この学校の生徒専用のプライベートビーチやヨットハーバーがあります。素晴らしい環境に、夫ともども惚れ惚れしてしまいました。

 10歳と9歳だった桜と楓は、これまでGGSを訪れた日本人生徒としては歴代最年少であり、取り分け楓は寄宿舎への入寮が認められる最も小さい学年であるとの理由で、実はアプライした時点で私ども両親に対しては、決して楽観的な見通しでインタビューに臨まないよう、GGSのアドミッションオフィスからクギをさされていました。しかし、本番で彼女たちが発揮した力は、アドミッションオフィスの予想をはるかに超えていたのです。

 当日は2人とも、持ち前の朗らかさと臨機応変さで、校長先生の2時間近いインタビューにも物怖じせず、立派に頑張りとおしました。スイスのラ・ガレンや日本のインターナショナルスクールでまずまずの成績を修めていたことも良い印象につながったらしく、そろって難関を乗り越え、合格通知を勝ち取りました。

 かくして、桜と楓は2006年1月にGGSのミドルスクールに転入し、同じ時期に夫は単身赴任で上海へと旅立ちました。出発に先駆け、「パパは中国、ママは日本、君たちはオーストラリア。家族全員が遠くでバラバラになるんだよ」と、夫が2人に言い含めました。すると楓が、「平気よ。だって、どこも地球だもん! 会いたくなったらすぐに会えるでしょ?」と、あっけらかんと笑い飛ばし、つられてみんなで笑いました。

 我ら地球家族は、ひととき離れ離れになりました。でも楓の言葉通り、休暇になるとシンガポールや香港で待ち合わせし家族全員それぞれの最寄り空港から国際線に乗って集結したりしたことは、スリリングでエキサイティングな経験になりました。「ママが一番危ない」と、現地に着くまでずいぶん心配されたものでした。

 夫は翌年、日本に帰国しましたが、姉妹のオーストラリア暮らしはその後しばらく続きます。

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