婚姻で領土を広げるハプスブルク家の政策
前回の記事で取り上げたスペイン・ハプスブルク家の滅亡(古代エジプトからロスチャイルド家まで、“王家の血筋”の法則とは?【1】)は、近親婚の影響が最もわかりやすく、強く出た例です。スペインのハプスブルク家は11組の結婚のうち、実に9組が3等身以内の結婚でした。
しかしスペインだけではなく、オーストラリア・ハプスブルク家(ハプスブルク=ロートリンゲン家)も多くの近親婚を繰り返しています。また「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」という言葉の通り、ハプスブルク家全体は他国との婚姻政策によって領土を広げてきた歴史があり、同じく政略的に近親者との結婚を奨励してきたという背景があります。
これほど婚姻政策が有名な一族でなくとも、中世のヨーロッパ貴族・王族にとって、近親婚はごく当たり前の習慣でした。王族、貴族が近親婚を選ぶ理由としては、次ページのような要因が考えられます。
ハプスブルク家で最も有名な政略結婚、マリー・アントワネットとその子供たち