子どもを5歳と6歳でスイスのボーディングスクールに出して以来、我が家は国際線の飛行機に乗る際、親がCクラスやFクラスに乗るときでも子どもは分相応にエコノミーに乗せることに決め実行しています。
「エコノミーのチケットは親が買ってあげる。でもそこから、どうやったらCクラスやFクラスにいつでも乗れる大人になれるか、自分で戦略を考えなさい。パパとママのいるコンパートメントに座りたければ、自分の力で這い上がりなさい」と言い渡してあります。
UMの経験値を踏んだお蔭で桜と楓には、様々なトラブルにも臆せず向かい合えるだけの度胸と、臨機応変な適応力が培われました。通じる言語を獲得したこととも相俟って、おそらく世界中どこの空港へも単独で行けるでしょう。(可能性の面から論じているのであって、セキュリティーの面からは「行ける」のと「行かせる」のは別問題ですが。)
ところで、2年ほど前に、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』のパロディー版の詩が、話題になりました。どこかの小学校の校長先生がつくられたものを、賢治の故郷・岩手県盛岡市の小児科医師が学会で発表されたとか。かなり前のYahoo!ニュースで、産経新聞から配信された記事として取り上げられていたこのパロディー詩を、以下にご紹介します。
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雨ニモアテズ 風ニモアテズ
雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ
ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ
意欲モナク 体力モナク
イツモブツブツ 不満ヲイッテイル
毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ
朝カラ アクビヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ
アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ
作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ
リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ
東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ
西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ
南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ
北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ
日照リノトキハ 冷房ヲツケ
ミンナニ 勉強勉強トイワレ
叱ラレモセズ コワイモノモシラズ
コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ
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記事は最後に、「賢治が生まれて100年あまり。そのころは日本中どこも貧しかった」と結ばれています。
翻って我が家では、「子どもは18歳になったら親の家を出て自活すること」と、かなり前から娘たちに言い渡してあります。「大学に行く場合は学費を負担してあげるけれど、行かないのなら生活費も自分でなんとかする方法を考えなさい」と。
娘たちは、
「あと3年だ」
「私はあと4年。でもどうやって住むおうちを探せばいいのかな?」……
などと言いながら、心の準備をしているようです。先日、主が留守の子ども部屋で、不動産の広告や家具のチラシが大量に保管されているのを発見し、思わず笑ってしまいました。
雨にあて、風にあてる子育ては、親にとってもつらい試練です。ついついそばに駆け寄って、手や口を出し代わってやりたい衝動にかられるのを、グッとこらえて我慢しなければならないからです。
子どもをずっと親の支配下において養っておくほうが、精神的には楽かもしれません。しかし、雨や風を避けたまま終われる一生というものは、存在するはずがありません。
ならば、ペットみたいに囲い込んで飼うだけではなく、親の庇護のもとにあって失敗ややり直しが許される年頃のうちに、あえて雨にあて風にあてて良き経験を積ませ、来るべき大嵐にも立ち向かえるだけの力を培ってやることは、大切な親の役割ではないかと、私は考えています。