徳川慶喜家当主・慶朝氏【2】華族の末裔たちの今

※前編はこちら

元華族の人々が集う霞会館はどんな場所?

―元華族の方との交流はありますか? また、旗本の子孫の会などもあると伺いましたが。
「旗本の子孫の会に呼ばれたことはあります。そういう会合では先祖のことを誇りに思っている方が多いし、歴史に非常に詳しい方もいらっしゃいます。でも、私自身は歴史にそれほど興味がないのです。もちろん、祖先のことは大切に思っていますよ。

世界一慶喜公に詳しいのは、私ではなく松戸市の戸定歴史館の学芸員の方です。ここに慶喜家の資料は全部預けてあるし、国内外様々な問合せに対応していただいています。全部お任せしているから、こっちも安心して楽に暮らせているわけです。」

―元華族の方が集まる「霞会館」というのが霞ヶ関にありますが、どんな場所なのですか?
「私も会員なのですが、ほとんど行っていません。ネクタイをして行かないといけないし。霞会館は昔のイギリスのクラブを真似て作ったもので、元華族の当主とその後継者が会員です。昔は男性しか入れませんでしたが、今は女性も入れます。でも、バーカウンターに座れるのは男性のみです。

霞会館は毎日開いていて、ビールなどのお酒が普通の居酒屋よりずっと安く飲めるんです。1000円分も飲んだらべろべろですよ。カウンターの他に、奥にはビリヤード台があります。でも、霞会館は定年退職した人が家にいてもつまらないから来るという感じでもあるので(笑)。最近はあまり足は向かないですね。でも毎日通う人もいるそうですよ。」

慶喜公が書いた家範は、慶喜家運営マニュアル

「慶喜家には、慶喜公が子孫のために書いた家範があります。これは当主とその家族だけのためのもので、一族でもそれ以外の人は見ることはできません。家を運営していく際のマニュアルで、“財産の何割はどう管理しなさい”とか“経済的なことは相談役をつけなさい”、“子孫は自分と同じ墓に入りなさい”など様々なことが書かれています。家範は、昔は内務省に届ける義務がありました。」

―普通の家庭には家範などないですから、興味深いですね。
「そういう書類や遺品、古文書を受け継ぐというのは面白いです。でも資産を受け継ぐのは大変ですので、受け継がなくてよかった。幕府の資産そのままということなら、財産だけでなく負債も同時に背負うことになりますし。

両親は、そういう意味では苦労していました。住み込みのお手伝いさんや料理人がいるような生活から一転して、母も家事をして勤めに出るようになって。お金持ちからそうでなくなる方が大変だし、最初から普通の方がいいです。それは私の性格、好みの問題でもあるけれど。」

事業継承は血よりも有能さを優先するべき

―家や事業を引き継ぐことに対してはどうお考えですか?
「江戸時代は家業とか家が、現代よりずっと重い意味があった。継承しないと断絶してしまうわけですから。でも商家の場合、継ぐのは必ずしも長男でなく、従業員の中の優秀な人、有能な職人に継がせました。だからずっと続いたんですね。今は単純に長男に継がせるからダメなんだと思います。他の従業員もやる気がなくなるし、もし子供に二代目を継がせるなら冷遇しないといけない。外で勤めさせて、修行させてから継がせたりしないと。

私はかなり国産主義で、車から何から、商品は何でも国産が好きです。あ、ウイスキーは輸入品ですけど。外国製より国産の方が性能がいいと思うし、海外でわざわざブランド品を買う人の気持ちはわからないな。若い頃はアメリカかぶれだったけど、やっぱり日本の方がいいね。」

徳川慶喜家の5代目後継者は?

―徳川慶喜家の後継者はどうなっているのですか?
「誰かに家を継がせたいという欲はないです。歴史や過去は変わらないですが、現代を生きる私たちは、私たちの好きなように人生を生きればいい。家に縛られる必要はなく、自分の幸せだけを考えて生きていけばいいんです。人はいくら長生きできたとしても、本人が死んだら終わりなのですから。だから慶喜家は自分で終わりになっても、惜しいとか残念とは思いません。」

過去は過去、今は気ままな日々の生活が幸せ

―自分の祖先が何百年も前からわかっていて、しかも有名人というのはどういう感覚なのでしょうか。
「人によって違うと思いますが、普段実感することはないですよ。家康公、慶喜公の血とかも、意識しないし不思議な感覚もない。周囲の人は意識しているかもしれないですが。昔のことなんて、どうでもいいじゃないですか。私はそういうスタンスです。先祖がわかっていたって関係ない。過去は大切に思うけど、それに縛られないで生きていけばいいのです。

でも、慶喜公の子孫として生まれて良いことは、もちろんたくさんありました。例えば、自分の家のことを本に書けば売れるなんて、普通はないですから。『徳川慶喜家にようこそ』は10万部以上売れています。コーヒーと本の印税のおかげで、1人で暮らすには十分な収入があるし、そういう意味ではありがたいですね。

幸せって何か。
お金を使って贅沢するのもいいけれど、他にもいろいろありますよね。料亭のご馳走は毎日食べていたら飽きてしまいますし。今は、ただのんびり暮らしたいだけです。好きな旅行に行って、好きな音楽を聴いて、ウイスキーを飲む。

私の家の周りは農家が多いのですが、みんな仲良しでよくしてくれます。5月、6月になると採れたての空豆を家に届けてくれたり。その日はすぐにお昼の献立を変更して、空豆を茹でて、ビールと一緒にいただきます。どこにも売っていないものですから、こんな贅沢はありません。あと、薪を使ってかまどで炊いたご飯が、すごく美味しかったり。私にとって、今はそういう瞬間が何よりの幸せですね。」

徳川慶朝(とくがわ・よしとも)
1950年、徳川15代将軍慶喜公直系の曾孫として静岡県に生まれる。東京の広告制作会社でカメラマンとして20年にわたって活躍後、フリーランスに。自ら焙煎したコーヒー豆を「徳川将軍珈琲」として販売している。著書に『徳川慶喜家にようこそ』『徳川慶喜家の食卓』(文藝春秋)など。

※2017年9月26日追記
インタビューは2009年に行われました。
徳川慶朝さんは9月25日午前5時12分、ご逝去されました。享年67。
ご冥福をお祈りします。

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