『開成番長』が語るギャンブル漬け人生【3】(東大生スロプロ編)

東大時代~パチスロプロとして過ごした日々


「開成番長」こと繁田和貴氏
 東大に入ってすぐにSAPIXで塾講師のアルバイトを始めて、教えることに楽しさを見出しました。今までに自分の周りにいた開成のクラスメイトは、遊び好きとはいえ、みんな優秀だったし、彼らに説明するのは簡単でした。

 ところが、講師を始めたばかりのときに担当したクラスはレベル編成の一番下。勉強が苦手な子が抱える悩みや、教えることの難しさを痛感しました。勉強がわからない子の気持ちを理解することをこのときに培ったのです。この経験の中で、効果的に教える方法を模索。自分用の勉強法を指導するうちに、人に伝えることを意識するようになりました。

 大学生活は、サークル、飲み会、麻雀、デート、そして塾講師のアルバイトと忙しく、1年の最初から早くも授業はサボりまくっていました。そして大学2年の時に、東大合格の原動力となった彼女と別れてしまいました。

 僕のフーテンぶりに呆れたこともあるでしょうが、当時弁護士になりたいと言いながら何もしていなかった僕に、愛想を尽かしたというのが一番の理由でしょう。そのときに、口先だけで行動を起こさないということは、本音では弁護士になりたいと思ってはいないと気付き、その夢はぷっつりと終わりました。

 空いた時間の寂しさを埋めるために選んだのは、勉学ではなくパチスロでした。当時は将来の目標がまったくありませんでした。東大に入りたかったのは、彼女と付き合う約束をしたことと、日本一の大学でカッコいいじゃん、という程度のものだったんです。

 自分の人生で何を成し遂げたいのかという目標を持って進学すれば強いし、ブレない。でもそれが僕にはなかった。その結果、何をやったかと言うと、その時だけが楽しいパチスロだったんです。

 パチスロは負け続ければただの道楽ですが、実はデータをきちんと分析すれば勝てるゲームです。受験勉強で頭を鍛えていたことが、幸か不幸か、僕にパチスロの適性を与えてしまいました。「仕事」になるほど勝ち続け、全く授業には出ずに、テストすらサボる生活を繰り返し、パチスロプロのような日々を送っていました。

 気が付いたら留年や休学を挟み、在学中ながらパチスロプロを5年もやり、年収1000万円を達成しました。このころは親にもさすがに諦められていたのか、たまにあきれ顔で「いくら勝ってきたの?」って聞かれる程度で、親としては歯がゆい思いをしながらも、自己責任だと静観していたようです。

 将来の選択肢が幅広くある大学に行かせてもらいながら、いくら稼いでも生産性のないパチスロにのめり込んで、何も考えずにやっていた自分は一体なんなんだ?と、卒業するころになってやっと気付きました。最高学府で学びながら、社会に価値をまったく提供できない自分…。

 最良の環境にいても、目的、目標がないと全く意味のないものになると気が付いて、自分のような「優等生の仮面をかぶったバカ」を作らないためにも、その反省や経験を生かして塾を開こうと決心したんです。(続く)
◆前回の話はコチラから◆

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