プライベートバンクの名門「ピクテ」とは

華麗な歴史に彩られたピクテ200年の歴史


 ピクテ銀行――永世中立国・スイスで創業200年を超える歴史を持つ「プライベートバンク」である。創業は、19世紀初頭。1805年7月25 日、ピクテの前身にあたる「バンク・ド・カンドル・マレット&コンパニー(Banque de Candolle Mallet & Cie)」が、パートナーシップ制に基づく無限責任のプライベートバンク(個人銀行)としてスタートしたのが、その歴史の始まりである。
 
 10世紀初頭から続くピクテ家を中心に、スイスのジュネーブで設立されたプライベートバンクは、やがてフランス革命以降、動乱が続く欧州で、王侯貴族など超富裕層の資産運用・管理サービスに特化していく。すでに1820年頃には、ロシア債券など欧州諸国の債券に投資するなど、世界の富裕層の多様化したニーズに対応。プライベートバンク・ピクテとしての華麗な歴史を歩み始めている。
 
 以後200年に渡って、プライベートバンク「ピクテ」のブランドは脈々と受け継がれていくことになるわけだが、その歴史を背景にピクテはやがて欧州を代表するプライベートバンクへと成長を遂げていく。実際、2003年にIBMコンサルティングサービス社が、欧州企業を対象に実施した調査でも、金融機関のブランド・イメージの第一位にピクテを選出している。

資産管理と資産運用のみに特化した200年


 なぜ、ピクテは200年もの間、世界有数のプライベートバンクとして存続できたのだろうか。もっとも大きな理由は、同バンクが「資産運用」と「資産管理(カストディ)」に特化してきたからだ。
 
 ピクテは、2つの世界大戦、そして1930年代の世界恐慌でも、顧客の資産保全の役割を果たして来た。スイスのプライベートバンクに対して、日本や米国の銀行は「ユニバーサルサービス」といって、あらゆるサービスの提供を行うのが一般的だ。融資、運用、ファンド販売などなど、様々なサービスを幅広く展開する。しかし、ピクテの歴史は、得意とする「運用」と「カストディ」分野に特化したサービスに徹底して来た。ビクテには「家訓」ともいえる哲学があり、「融資」と「自己売買」はタブーとされている。つまり、運用もあくまでも顧客のための運用であり、自己勘定による売買は行わない。世界大戦や恐慌でも経営危機に陥らなかった理由がここにある。
 
 ピクテは、200年の歴史の中で、常に先駆的な運用サービスを提供して来た。ユニークで特色ある運用サービスを時代に先駆けて提供してきたのだ。たとえば、近年ではいち早く新興国への投資やヘッジファンドに注目して来た。運用の基本は、「アクティブ運用」「組織運用」そして「リスク管理」で徹底されている。グローバル化にも積極的で、現在の運用拠点は世界各地に19拠点あり、ジュネーブ、ロンドン、シンガポール、東京が代表的な拠点である。
 
 一方のカストディ・サービスも、200年の歴史を経て、現在80カ国でそのサービス網を展開している。欧米の年金基金、投資顧問会社を主たる顧客に、質の高いサービスを提供している。

驚異的な発展を遂げた1980年代以降


 ピクテは、1980年代からの20年間に急成長を遂げる。スイスでも最大級のプライベートバンクのひとつに成長。従業員の数は1980年の300名から2000年には1800名へと大幅に増え、預り資産総額も約40兆円に達する。利用者の国籍は150カ国を超えた。
拠点は、世界18カ国に及び、日本もそのひとつだ。
 
 その200年の歴史を持つピクテが、日本に進出したのは2000年のこと。その特異なノウハウを背景に、設立から7年で約100ファミリーの顧客と契約している。
 
 ピクテは、一切広告宣伝を行わない。お客さまを獲得するのに、ピクテ側からアクションを起こすことはないのだ。お客さまが、自分でアプローチしてくるのをひたすら待つだけである。そして、ピクテの顧客になるためには、厳しい審査をパスしなければならない。

世代を超えた長期的信頼関係を構築


 ピクテは、日本でプライベートバンキングサービスを実施するに当たり、3つの大方針を掲げている。
 
 第1は「継続性」だ。世代を超えた長期的信頼関係の構築を目指し、金融資産管理に関する総合的なアドバイス業務を行うことがピクテの使命であり、そのためには一度進出した国や地域からは撤退しない。それが、ピクテの哲学となっている。
 
 第2は「コンプライアンスの徹底」である。法令遵守を徹底し、法令違反をしない。日本に進出していたプライベートバンクが、相次いで法令違反などで撤退していくなかで、ピクテの哲学はここでも堅く守られている。
 
 第3は「コストを徹底して抑えること」。これも継続性を維持するうえで必要なことであり、現在日本のピクテのプライベートバンキング部門である「ピクテファイナンシャルマネジメントコンサルタント株式会社」は、銀行ではなく投資顧問の助言サービスのみに徹している。日本で銀行業務を営むためには年間20億円が必要になる。証券会社でも10億円、助言サービスを使ったプライベートバンクであれば、年間5000万円のコストで済む。コストを抑えて、収益性を悪化させないためだ。

金融サービスと非金融サービス


 プライベートバンキングは、特殊なサービスだ。トップクラスの富裕層向けサービスであり、安全性や投資対象の大きさを考えると、総資産で10億円、金融資産も3億円程度はないと難しい。
 
 そのピクテのプライベートバンキングサービスは、大きく分けて金融と非金融とに分けられる。金融サービスは、アドバイザリー業務に徹しており、実際の運用は信託銀行に託している。3億円程度からの利用を受け入れ、ピクテは運用額の0・6%を投資顧問料として受け取っている。具体的な金融商品については、2回目以降に譲るが、メインとなるのは「ヘッジファンド」だ。ファンド・オブ・ヘッジファンドを使って、世界最先端の金融サービスを提供する。
 
 非金融サービスは、税務、法務、不動産、美術品、教育、医療などなど。日本では残念ながら、スイスのサービスの100分の1も提供できないが、各分野で専門家と連携を図りながら、サービスを提供している。とりわけ、医療と教育へのサービスには力を入れている。
――以降、次回へ続く――


取材協力:湯河元恭(ゆかわもとやす)
 1957年東京生まれ。曽祖父が三井銀行創世期のメンバーの一人というバンカー一家に生まれ、自身も4代目という家庭で育つ。1981年東京国際大学商学部卒業後、日本興業銀行入行。本店債券部、横浜支店、本店勤務を経て、1996年東京支店課長となる。1998年高松支店金融法人課長、本店人事部副参事役を経て2000年3月に日本興業銀行を退職。同年4月ピクテ投信投資顧問株式会社に個人金融資産部長として入社。2000年12月ピクテ・ファイナンシャル・マネジメント・コンサルタント株式会社を設立し、取締役個人金融資産部長に就任。2007年3月同社常務取締役。日本人ではじめてピクテのプライベートバンカーとなり、本場スイスのPB業務を日本の富裕層に展開。


取材協力:金田明(かねだあきら)
 1967年横浜生まれ。1991年慶應義塾大学法学部卒業後、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)入社。証券企画部、ニューヨーク現地法人勤務を経て、 1999年12月に同社を退職。その後、シティバンク、メリルリンチ日本証券にてプライベートバンキング業務に従事。2006年3月に中央大学MBA取得。2007年6月ピクテに入社、個人金融資産部副部長に就任。

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