女の子にイタズラして親子で土下座した小5
久米氏 僕の子どものころは水俣病やイタイイタイ病が明らかになって、小学生時代は光化学スモッグで窓が開けられなかったんです。まさに高度成長のひずみが一気に出たころ、一番多感な小中学生の思春期でした。
今は休刊になってしまった学研の『科学と学習』には、当時からすでに温室効果の話があったし、有吉佐和子さんの『複合汚染』とか、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』などが発表されて、どんどんネガティブオーラが僕の中に広がってきて、とどめがアービン・ラズロ、そして小松左京さんの『日本沈没』。このままじゃ日本が滅びると不眠症になっちゃった鬱々とした子どもでした。
そんなときに、そろばん塾で一緒だった高校生に「眠れないんだったら深夜放送聞いてみなよ」と言われたんです。当時はオールナイトニッポンとかラジオ番組が全盛で、聞いているうちに、大人の面白い世界を知ってしまったというわけで…。
小学校5年生のときはお山の大将みたいないじめっ子でした。『久米だったらなんでもできるよな』と煽られて、女の子にイタズラをすることに。本人はやりたくないけれど、お前ならできるだろうと言われてやってしまう、まさに企業の不祥事と同じ構図ですね。それが大問題になって、女の子のうちに行き、親子で土下座して謝罪しました。その翌日が僕の人生の中で一番ショックでした。昨日まで僕の部下みたいだった友だちが、全員手のひらを返したように敵ですよ。
結局、ボーイスカウトに入れられたんですが、そこでもいじめに遭いました。ボーイスカウトを辞めたい故に四谷大塚で勉強したりしましたが、辞めることができなかったんです。しかし、ボーイスカウトは現場の連続。辛いことがあるとみんな仲良くなってしまうものなんです。気が付くといじめていた子が友だちになっていた。『辛い時に逃げないと友だちができる』という教訓を得ました。
高校から慶應に行ったんですが、日吉から三田に上がるのに失敗して、一度留年しているんですよ。間違えたコピーを写して落第したという。それで周りに友だちがいなくなっちゃって学食も一人。だけどそれを乗り越えられたのは、良い先生に出会えたということと勉強に励んだからでしたね。勉強の語源=ヒマっていうのを実証しましたよ。