銀閣寺から若王子のあたりまでに至る約1.5キロほどの疎水辺りの径は「哲学の小径」と呼ばれています。
西田幾多郎(明治3年~昭和20年)を代表とする京都学派の近代哲学者たちが、思索を重ねながら、好んでこの径を散策していたことから、いつしかこのように呼ばれるようになったと聞いています。
春には桜のトンネル、初夏にはゲンジボタルの輝きに、観光客が大勢みえ、小さな径は通勤ラッシュのような状態となってしまいます。
けれども、今の時期はまだ観光シーズン前ですし、寒の戻りのきびしい寒い夕刻に、ふらりと出かけてみましたら、ほとんどすれ違う人はありませんでした。
幼稚園にあがるまでの数年間を、私はこの近くで過ごしました。
学生結婚でした両親は、大学へ通うのに便利なこの辺りの、小さなアパートに住み、そこで私が産まれました。
おトイレも台所も共有の、ささやかなアパートでしたそうです。
私の記憶には残っていませんが、ただ、アルバムの中のセピア色の写真から、昭和30年代の家族の様子がうかがえます。
父が大学助手の職を得、弟が産まれ、引っ越した一軒家の借家もやはり哲学の小径脇でした。
お風呂が無く、近くの銭湯へ通っていましたが、小径の砂利の上に長く伸びた自分たちの影を、面白く眺めながら、「夕~や~け小~や~けで~日が暮れて~」などと、小学唱歌を歌いながら歩いていたのが、私の原風景のひとつのように思えます。
ちょうど映画「三丁目の夕陽」の時代ですね。
一服した喫茶店も、その時代の民家をそのまま使っているかのようです。
今は、世の中の流れも、個人の時間の流れも、とても早く感じられ、あっという間に一日、一週間、一年が過ぎてしまいます。
久々に、ゆっくりと哲学の小径を端から端まで歩き、あの頃の自分や、あの頃の両親、あの頃の空気に会いに行ったような、穏やかでちょっと切ない気持ちになりました。