「課長っぽい」東電の清水正孝社長

ワンポイントリリーフ

 横浜市の少し高台にある閑静な住宅街。モダンな注文住宅や、大きな邸宅が並んでいる。その一角の広い土地に、旧清水家があった。清水社長は幼少時をここで過ごした。

 近隣住民によると「あまり詳しくはわかりませんが、お父さんは東電OBで偉い人だったとは聞いています」という。現在は、売却し新しい家が建築されており、当時のことを知る人も少ない。

 そうした父親の影響もたぶんにあっただろう。栄光学園、慶応義塾大学を経て、東京電力に入社した。


 「資材部でコスト削減に貢献したとは言いますが、業者が頭を下げてやってくる部署ですから、そんなに大した努力をしなくても、コストは削減できるはずです」と電力業界関係者。ちなみに、記者会見の時に自らも着用している作業着も、その調達費も削減したのだという。

 転機が訪れたのが2008年。勝俣恒久会長(当時社長)が引責辞任することになり、後任に推したのが清水社長だったという。

 「2002年のデータ隠ぺいも電力業界にとってはドキっとするような出来事でしたが、2008年の柏崎刈谷原発の運転停止もそうでした。その時に勝俣さんが辞任する時に、清水さんのことは知りませんでしたし、わたしの上司は『ワンポイント』などと話していました。温厚そうで、周りの部署や業者ともうまくやっていくような感じで、個人的にはどこか、課長っぽく見えてしまうのですが…」(前出の業界関係者)

 しかし、同社創立以来で初となる私立大学出身社長という名誉にも預かるのだった。

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