佐々木則夫監督と澤穂希選手
高校時代は名門帝京高校で主将、現大宮の前身であるNTT関東ではMF、DFとして1部昇格に貢献した。33歳で現役を引退し、その後は指導者の道を歩んだ。指導者としての確たる実績はないが、07年12月に日本女子代表監督に就任した。
「小さな娘たちが粘り強くやってくれました」と優勝後の代表インタビューで笑顔でこたえた佐々木監督。PK戦に入る直前に指示を出していた際にも笑顔だった。この朗らかさが、武器だということはよく言われる。だが、雰囲気作りだけでは勝てない。
チームの得点源である澤穂希選手をボランチに下げるという思い切った決断が、チームを完全に変えた。組織でいう人事だ。もちろん、失敗すれば澤選手の選手生命を無駄に、チームの雰囲気まで悪くしてしまう。
監督就任時に佐々木監督は「W杯を経験して、強豪チームに勝つためには、もっと相手の良さを消すためのプレーをしていかなければならないと感じている」とこたえている。
最も得点力のある選手を守備的な位置にまで下げるという矛盾。しかし、最も能力のある澤選手を相手の攻撃の芽を摘むボランチに下げて、ボールを奪ってすぐさま速攻に移すというスタイルが完成した。
澤選手が今大会でも得点王になったように、実は大英断だったということだ。さらに今大会での選手起用もことごとく当たった。それは、選手の特徴やコンディションを誰よりもよく理解していたからだろう。
W杯優勝でなでしこJAPANの結束はさらに強固になったことだろう。しばしの休養の後に、次は12年ロンドン五輪の予選がすぐ目の前に迫っている。