インターナショナルスクールって、どんなところ?

 2004年の秋学期、新学年のスタートとともに、桜と楓は日本国内のインターナショナルスクールに転入しました。ラ・ガレンという小さな器を出て、より大きなステージへと順調に歩を進めたのでした。

 毎朝、夫と交代で、姉妹を車で送る生活が始まりました。早起きするのはつらかったけれど、日を受けてキラキラ輝く海を横目に湾岸道路を飛ばすのはスカッと爽快な気分でした。

 この学校は幼稚部からハイスクールまである伝統校で、エレメンタリー(小学部)1学年50名前後(1クラス10数名×3クラス)です。全校生徒およそ800名という人数に見合うだけの広い敷地に、明るく立派な校舎が建ち並び、申し分のない環境でした。おおらかで居心地のいい校風に助けられ、桜も楓も楽しく通いました。

 ガレンからこの学校に移ってみて予想外に良かったのは、社会性が育まれる過渡期の娘たちにとって実にタイムリーに、アジア人のお友達がたくさんできたことです。スイス時代はほとんど馴染みがなかったアジアの国々の生徒と親しく触れ合う機会を得て、アジアの一員である日本や、日本の国民である自分というものを、より強く意識し自覚するきっかけとなったようでした。本来の帰国の目的であった日本語の授業も、幸い、とても素晴らしい先生とのご縁に恵まれ、めきめきと力をつけていきました。

 ところで、どういう根拠からか、「インターナショナルスクールは、お勉強ゆっくりペースなんでしょう?」としばしば聞かれるのですが、それは大きな誤解です。インターナショナルスクールの生徒は、遊びほうけているわけではありません。欧米式の教育カリキュラムにおいては、暗記するだけの学習方法は通用せず、実によく書かされよく考えさせられます。ゆっくりペースというより、じっくりペースというべきでしょうか。

 何より、宿題が半端じゃありません。日本の小学校の夏休みみたいなのが、学期中ずっと日常的に続きます。娘たちは学校から帰ると、夜まで黙々と机に向かって宿題をこなすのが日課になりました。

 A4サイズの大判のノート数ページを、細かな字の英文でビッシリ埋めて、課題を仕上げ提出したとします。すると、教師はすぐさま目を通し、真っ赤っ赤になるほど随所に意見を書き添えて返してくれます(ショッキングピンクとか蛍光オレンジのインクの時もあるので、ノートはすごくカラフル)。それを再度検討し直して、また提出する、といったキャッチボールが、根気よく交わされます。

 算数では、一見単純な図形問題や計算問題かと思いきや、結論を導き出すまでに至る幾通りもの思考経路について、様々な角度から論じさせられ、一筋縄では終わらせてもらえません。

 さらに、リーダーシップ教育の一環と称して組み入れられるプロジェクトやプレゼンテーションの課題もやたら頻繁かつ高度であり、そのための周到な準備も怠れません。

 「こんな大変な宿題、みんなちゃんとやるの?」と、私は娘たちに聞いたことがあります。すると2人とも肯きながら、「うん、毎日やってくる」「クラスの誰も、ホームワークをミスしたりしないよ」と答えました(この場合の『ミス』は、失敗する=回答を誤ることではなくて、失する=取り逃がす、つまり、やり遂げられないとか、最後までやり通せない、というような意味です)。

 なるほど、教師が課題を決して出しっぱなしにはせずていねいに熱意を持ってフォローするのですから、生徒側にもきちんとそれに応える気持ちが湧くのかもしれません。1クラス10数名と少人数であればこそ実現するのだろうとも思いました。

 「日本の学校だと、たまに作文の宿題を1つ出しただけでも、塾の勉強をする時間がなくなるとかで、お母さんから文句が殺到する。担任しているクラスの生徒の人数も多いし、とてもそんな教え方はできないわ。」とこぼすのは、公立小学校の教師をしている旧友の弁です。

 放課後は塾にお任せ(?)の日本の学校と違って、毎日の宿題(ホームワーク)の量がとても多いことは、ガレン以降どの学校でも共通しています。このインターナショナルスクールのエレメンタリーでは、学年始めの父母会でホームワークをフォローするためのマニュアルを記載した冊子が配られたりして、親がホームワークを手助けする(指導する)のが当たり前という感覚でした。ガレンなどボーディングスクールでは、その役目を、ホームワーク専用の教師が担ってくれます。

 宿題は、クラス担任からだけでなく、日本語教師からのも別に課されます。日本語の宿題は、よく練られた内容でしたが、クラスの宿題と合わせるとあまりにも膨大で、子どもながらに負担が大きかったのでしょう。ある日、桜が、「今日ね、クラスのみんなで相談して、日本語の先生に、宿題が多すぎるから減らして下さいってお願いしたの」と言うので、「ついに音を上げたか」と私は苦笑してしまいました。交渉は成立したらしく、その日から彼女は、睡眠時間をいくらか増やして確保できるようになりました。

 ハードな宿題のお蔭か、2人とも塾要らずで、お勉強は学校ので十分完結していました。普段の大変さと引き換えに、週末や長期休暇は、宿題のデューティーはなく完全にフリーなので、家族でスポーツや旅行をして過ごすのにも、存分に時間を割くことができました。

 日本の学校と異なる点といえば、ホームワークを手助けする以外にもう1つ、親に要求されるものがありました。それは、「送り迎え」でした。基本的に、行き帰りの通学時における子どもの身の安全を図るのは、学校ではなく親の役目だとされています。

 この学校では、スクールバスが配備されていましたし、スクールバスを使わない家庭は、車や電車で保護者が送り迎えをしていました。学校から近い距離の通学には自転車も認められていましたが、いずれの場合も、送り迎えの方法や迎えに来る保護者について、最初に親が書面で学校に届け出ることになっていました。

 送り迎えを要求するからには、学校側も時間厳守を貫きます。日本の学校みたいに、課外活動で予定外に遅くなったり、ましてや朝練などは一切なく、学校は毎日ピッタリの時間に始まりピッタリの時間に終わります。放課後、我が家のお手伝いさんが付き添って電車を乗り継いで帰路についていた娘たちは、この学校に通った間、1日たりとも電車1本分すら狂わず定時に家に到着したのは見事でしたし、セキュリティーの面からも安心できました。

 先生や学校側が子どものためにさまざまな面で細心の注意を払い気を配っている様子が、親の私どもに如実に伝わり、全幅の信頼を寄せるに値する素晴らしいインターナショナルスクールでした。

 この学校は、前述のごとくハイスクールまで擁しています。ハイスクールを卒業した生徒は、大半はアメリカをはじめとする海外の大学に進学しますが、少数ながら日本の大学に進学するケースもあります。

 一般に、インターナショナルスクールは日本国内にあっても日本の学校法人とは扱われないため、卒業生の日本国内での進学先は、従来ならばICUや上智など、特例でインターナショナルスクールからの9月入学を受け入れている大学に限られていましたが、近年は門戸がぐんと広がりました。

 平成14年から、「一定の基準」を満たしたインターナショナルスクールの卒業生には、日本の大学への入学資格が与えられるようになったのです。「一定の基準」の定義については、文部科学省・中央教育審議会大学分科会の関連資料をお調べください。

 現在、日本国内にあるインターナショナルスクールのうち、この基準に照らし合わせて、日本の大学への入学資格が認められているのは、以下の16校です。

●北海道インターナショナルスクール
●東北インターナショナルスクール
●コロンビア・インターナショナルスクール
●セント・メリーズ・インターナショナルスクール
●アメリカンスクール・イン・ジャパン
●クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン
●聖心インターナショナルスクール
●清泉インターナショナルスクール
●サンモール・インターナショナルスクール
●横浜インターナショナルスクール
●名古屋インターナショナルスクール
●大阪インターナショナルスクール
●カネディアン・アカデミー
●マリストブラザーズ・インターナショナルスクール
●福岡インターナショナルスクール
●沖縄クリスチャンスクール・インターナショナル

 桜と楓の学校は、これら16校の中に含まれています。つまりハイスクールの卒業生は、各大学の行う入学試験にパスすれば、日本の大学に進学することが可能だというわけです。(実際にパスするためには、当然ながら日本語や日本式の受験勉強を自力で強化しなければならない側面があるにせよ。)

 ガレンから日本のインターナショナルスクールのエレメンタリーに転入した桜と楓は、そのままいれば順調にハイスクールまで、エスカレーター式に進級を約束されていました。けれども、5年生と4年生になったとき、2人は再び、海外のボーディングスクールにアプライすることになります。その経緯については、次回お話しいたします。

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