100億円負けた伝説の相場師に残る2つの闘い

 日本トムソン、THKと創業した2社を、業界を代表する会社として上場させ、また、相場師としても名をはせた寺町博さん。昨年から病に伏し今年9月に惜しまれつつ88歳で生涯を閉じた。ただ、本人もさぞかし無念ではなかろうか、2つの大きな闘いが本人不在のもとで続行せざるを得なくなっている。

車いすで執念の「出陣」

 東京都のホテルでしめやかに関係者だけでお別れの会が営まれていた。寺町さんの生前の活躍ぶりを知る人にとっては、さぞや寂しく映ったかもしれない。エンジニアとしての発想が豊かで、2社を一流企業に育て上げ、また相場師としてもその名前を知られる稀有の存在だ。

 その寺町さんにはまだ2つの闘いが結果的に残った。

 「車いすに乗せられて証言台に立ったのに、視線が定まらず、話すこともできず、あえなく本人尋問が中止になりました。あまりにも変わり果てた姿には驚きましたが、それ以上に、そうまでして出たいのか、との強い執念を感じました」

 今年の夏に東京地裁に車いすで出廷した姿を見た司法ジャーナリストがその様子を話す。昨年秋ごろから入院し、寝たきりの状態で自分の足では歩くことができない体となっていたようだ。それでも、指を動かして何かを答えようとするが、何も言葉を発することができなかったという。裁判長から制止され、あえなく中止となったのだ。

 そこまで執念を燃やす事件。寺町さんと言えば、すぐに思い浮かべるのはアレだ。

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