7億円の移動用ヘリを買った新人弁護士「闇の番人」田中森一(3)

 田中森一がヤメ検として、大阪市内に法律事務所を開設したのは88年初頭。検察庁の17年間の退職金が800万円だったが、事務所開きのご祝儀だけで、総額6000万円に達した。バブル経済がピーク時を迎える直前である。時流に乗った不動産業者、ヤクザ、株屋等がヤメ検としてのノウハウに期待し、田中の元に集まってくる。(敬称略)

7億円の移動用ヘリを購入する「新人弁護士」

 弁護士開業1年目には、顧問先企業は優に100社を超え、顧問料だけで1カ月1000万円を超えた。年収は2億円ぐらいあった。節税対策に7億円のヘリコプターを購入した。顧問先のバブル紳士たちもこぞってヘリを購入し、ゴルフ場通いに使った。

 今、アベノミクスによるバブルなどといわれているが、日本が体験した本当のバブルとはどんなものだったのか。

 87年には東京都内の土地が87%も高騰、88年には県庁所在地の最高路線価が23.6%上昇した。バブル当時、不動産産業は花形で、中でも羽振りが良かった新進の不動産業者、「朝日住建」「末野興産」「富士住建」も、田中が顧問弁護士を引き受けている。田中が交際のあったバブルの紳士たちはこんな具合だ。

 「例えば朝日住建の松本喜造という社長は若い頃、山口組傘下の組員だった。ヤクザから足を洗い転身して、バブル最盛期の90年には業界第2位のマンション業者に成り上がった。たいしたもんだとわしは思ったね」

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