真の国際教育とは?

 国際教育を謳う日本の学校は、たいてい「英語教育に力を入れていること」をセールスポイントにしています。もちろん英語は、グローバル時代に言語鎖国となって取り残されないためには、不可欠です。しかし、英語「さえ」教えておけば、それがイコール国際教育なのでしょうか?

 国際教育とは本来、異文化や異言語に対して心の垣根を取っ払えることを目指すものではないかと思います。 垣根を取っ払うには、己も相手も熟知しなければなりません。国際教育の名のもと英語の習得ばかりに目が向きがちな日本で、己(日本)を熟知すべく実践している学校は、どのくらいあるでしょうか?

 桜と楓の通う日本国内のインターナショナルスクールには炉を切ったお茶室があり、毎週、和服姿の先生が来られて茶道のお稽古を受けます。ハイスクールの過程を修了すると、お免状がもらえます。だから、大学にアプライする際のポートフォリオ狙いもあって、男の子も女の子も、国籍にかかわらずたくさんの生徒が茶道を選択しています。英語が話せる日本人の先生は、お茶のしきたりとともに、日本人が大切にする「時候のしつらえを貴び愛でる心」も教えてくださいます。

 このようにインターナショナルスクールでは、個性を伸ばす欧米式教育と並行して、日本の伝統文化にも触れますし、高学年の日本語の授業では現代文のみならず古典も学びます。

 日本語や日本文化が、日本人によってのみ受け継がれるという点を、私は最近、ちょっと疑問に感じています。日本に在住する外国人子女の、日本語や日本文化に対する、接する機会の多さや造詣の深さは、おそらく皆様が予想される以上です。

 日本人が日本語や日本文化のオリジナリティを誇るあまり、「外国人には到底理解できまい・習得できまい」などと慢心(?)していると、日本の学校で英語「を」教えることに注力している間に、日本語や日本文化まで外国人に後れを取ってしまうという愚をおかすことになるかも……?

 日本人のお子様みんなの教育の在り方を、より己を識り相手を把握し、日本人としての誇りを保てる未来人を産み出せるよう、検討の余地がありそうな気がします。

 さらに申し上げるならば、多くの日本人が、日本語や日本文化に限らず、「日本人には敵うまい」と信じ込んでいる多数のジャンルにおいて、日本人がどんどん置いていかれている現実を、日本人に広く知らしめることが、国際教育の第1歩ではないかと考えます。そうすれば、多くの日本人が抱く、「いや、普通でいい。国際的であることがそんなに良いこととも思わないし」という概念も変わる(変わらざるを得ない)のではないでしょうか?  

 合わせて、日本人が先んじている得意分野も大切に伸ばして伝承することも、とても重要な課題ですね。

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