消滅するパナソニック電工が執念の社史編纂へ

 年末にパナソニックに吸収合併されて“消滅する”パナソニック電工で、最後の社史編纂作業が進んでいる。国内社員に配布するのは12月下旬という。パナ電工は、そもそもはパナと兄弟関係で、松下幸之助が創業した照明事業を引き継いだからプライドが高い。パナの100%子会社となったいまも、「パナ嫌い」の社員は少なくない。会社消滅へのカウントダウンの中でつくられている社史は、社員の執念が込められたものになりそうだ。

最後の抵抗


パナソニック電工本社
 最後の社史に関わっている、あるパナ電工社員。「英語と中国語版は間に合わないけれど、日本語版は間に合わせる。国内およそ5万人の社員に、年内に必ず配布する」と話す。
その強い思いは、パナ電工の前身、松下電工の生い立ちを知れば理解できる。

 松下幸之助が創業した松下電気器具製作所(のちの松下電器産業、現パナソニック)が、1933年(昭和8年)に事業部制を敷いたとき、照明機器事業などを担当する第三事業部が設置された。それが2年後に分社され、パナ電工のルーツとなった。松下電工という社名になったのは1945年(同20年)、松下電器の出資比率も30%台となり、独立経営を奨励された。

 1947年(同22年)に松下電工の社長になった丹羽正治は、幸之助に能力を認められた男として知られている。社員のやる気を引き出すため、福利厚生や給与、退職金制度も、ほんの少しながら松下電器を上回るものにしていった。

 「松下電器に負けない」が合言葉だったことから、社風は野武士的で風通しのよい組織が持ち味。「入社試験を受けるとき、電器と電工、どちらがいいか悩んだが、大企業然としない社風が気に入って電工を選んだ」と、ある40代社員は振り返る。

 だが、7年前、松下電器の当時の中村邦夫社長は、松下電工株のTOB(株式公開買い付け)を決定、51%の株を握る子会社にした。気位が高い兄弟会社が目に余ったというのが表向きの理由だが、電工株を所有していた創業家、松下家が資金を必要とし、そのための株買い取りが目的だったとも言われている。

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