検察と住銀は古くて強い関係?
「あのときは自民党の代議士の名前が出てこなかったら、事件にはしないというのが上層部の考えだった」、田中が取り調べた民社党代議士の横手文雄の口から、自民党の稲村左近四郎の名前が出て、ロッキード事件以来、実に10年ぶりに検察が立件した政治家の疑獄事件として、マスコミは大騒ぎをした。
だが、撚糸工連事件と同時並行して取り組んだ平和相互事件では、捜査の過程で浮上した竹下登の秘書で、自殺をした青木伊平の「竹下登へ5億円を渡した」とされる走り書き「青木メモ」の存在があった。
「平和相銀事件は竹下をターゲットにした」
竹下登といえばときの自民党幹事長、田中派から飛び出し総理の椅子に最も近い大物政治家といわれた。だが、検察上層部は政界まで切り込むつもりはなく、事件着手からわずか1カ月後に捜査終了宣言が発表される。
平和相銀の内紛に乗じ住友銀行は、事件で経営破綻が決定的になった平和相銀を吸収。住銀は労ぜずに平和相銀の東京店舗を手に入れ、業務を拡大した。「住銀のための捜査だったのか…」という検事の声が聞かれたという。
「大阪で検事正が退官して弁護士になるとき、住銀と読売新聞が何十社に及ぶ顧問先を紹介する、それが習いになっていたし、住銀と検察の関係は古くて強い」
87年暮れから田中が取り組む三菱重工CB(転換社債)事件も、検察上層部は次第に消極的になっていく。
「検察庁が及び腰になった一つとして、三菱重工の顧問弁護士で、かつて検事総長まで務めた大物ヤメ検弁護士、江幡修三やそうそうたる検察OBの存在があるね」
先輩ヤメ検弁護士たちは、実力OBを中心にいくつかのグループを形成している。役人に共通する生き方だが、先輩後輩の絆は一般の世間に比べてかなり強い。「だからヤメ検が力を持つ」。
三菱重工CB事件も検察上層部はシャットアウトしてしまう。