7億円の移動用ヘリを買った新人弁護士「闇の番人」田中森一(3)

億単位の通帳を多数持ち歩き

 96年の住専国会の証人として証言し有名になった末野興産の末野謙一は、大阪府の四貫島生まれでダンプカーの運転手から身を起こした。学歴はないが地上げの才覚はあった。バブル時代、ビルの屋上の「末野興産」「天祥ビル」という派手なネオン灯の看板は、ミナミのシンボル的な存在であった。

 「あの人は極めつけのドケチだ」

 彼の蓄財術はビルや土地の購入の際、住専や金融機関から融資額の上乗せを求める。50億円の物件なら70億円借りて20億円を貯め込むのだ。末野の貯金の金額はバブル崩壊時点で2000億円あったという。

 彼は肌身離さず貯金通帳がぎっしり入ったセカンドバッグを持ち歩き、ミナミやキタ新地のバーで、億単位の数字が並んだ貯金通帳を何冊も見せびらかす。だが、ホステスにチップをはずむわけでもなく、飲みに行くときは下請け業者を誘い、彼らに支払いを回す。

 「デパートの外商を通して手に入れた高級な服や靴の支払いを1年分の貯めるんだ。総額で5000万円ぐらいになったものを4000万円に値切る。末野のような大阪のケチな金持ちはそういう手を使う」

 ドケチに大阪の人間は「そこまでやりまっか」と、敬意を表するところがある。末野は典型的なナニワのバブル紳士だった。

 末野興産の借入金は住専だけで、2300億円に上った。彼の蓄財は表向き残っていないが、田中はニヤッとする。

 「例えば金をカメに入れて土の中に埋めたらわからんしな。そうしているとは言わんが」 
 
 末野と両極なのが焼き鳥屋から出世し、「五えんや」グループを率いていた中岡信栄で、金使いの荒さではナンバーワンだった。

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