7億円の移動用ヘリを買った新人弁護士「闇の番人」田中森一(3)

すべての人に札束入り茶封筒を配る

 「彼の経営するノンバンク、ECC(イージー・キャピタル・アンド・コンサルタンツ)の会長室の机の引き出しの中には、100万円や50万円、20万円入りの茶封筒がいっぱい詰まっている。当時、60代のステッキをついた貫録あるオッチャンは、芸能人もマスコミの人間でも訪ねてくる人には全員、現金入りの茶封筒を配っていた」

 定期的に上京すると、ホテルオークラの広さ107坪もある別館最上階のインペリアルスイートルームを4、5日間貸し切る。そこは安倍晋太郎や竹下登のような政治家の秘密の会談の場所となった。貧乏のドン底から成りあがった中岡は、字もろくに読めなかったが、最も優秀な頭脳集団といわれる大蔵省の幹部連中や、高級官僚も中岡が貸切るオークラの最上階に勉強会と称して集まった。

 中岡の経営するECCは93年に破綻、拓銀の系列ノンバンクからの借入金、2000億円が焦げ付き、拓銀破綻の大きな原因となった。

 「中岡には使途不明金が350~370億円あった。オッチャンは政治家や官僚をはじめ、いろんな人にタニマチとしてカネをばらまいたわけで、具体的な見返りを期待したわけではない。領収書なども一切ない。使い道がわからんかったら事件にはならん。結局、中岡信栄は捕まらずにすんだ」

 バブル紳士は貧困や被差別体験をしたものが少なくない。そこから脱出できたカネの力に信奉したがカネの使い方はわからない。ひたすら儲け見せびらかし、ひたすら蕩尽した。

 「バブルが崩壊するとは、総理大臣も日銀の総裁だって思っていない。戦争を挟んで先達たちが苦労したことが実を結び、もっと大輪の花を咲かせる。土地も株も美術品ももっと上がると日本中の誰もが信じていた」

 自分も含め狂っていたとしか言いようがない。田中森一はバブルの時代をそう振り返る。

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