お金は人を選ぶ
高岡:『億男』の中には主人公が3億円の札束の上で寝るシーンがあります。実際に札束はご覧になられていかがでしたか?
川村:私は取材で訪れた競馬場の馬主席で本当に1億円の札束を見ましたが、非常に無造作に紙袋に入れられていました。銀行で億単位のお金を引き出す手続きは本当に大変なんですね。でも馬主席では億単位のお金が紙袋で出てきます。その時、「お金は人を選ぶ」ことに気付きました。こういう世界もあるのだと。
また、ある時に私は「どういう気分になるのだろうか」と思い、友人たちの前で1万円札を真二つに破りました。もちろん、みんな唖然としていました。その時私は気付いたんですね。これは宗教画を破ったり、仏像を壊すのと似た行為なのだと。お金というのはある種の宗教なのだと。一方で、お金はただの紙であり、ただの金属でもあります。しかし、それに人間が「人のことを信じたい」という気持ちをあずけて流通させているものだから、お金は人間の信用を形に変えたものとも言えます。
人間は欲があるから生きていける
高岡:小説では、ソクラテスからドナルド・トランプ、ジョン・ロックフェラー、ビル・ゲイツなど古今東西の偉人達によるお金の名言もあり、とても引き込まれます。『億男』の主人公は、最終的には人生を生きていくための「欲」を肯定しているように感じました。私から見ると、実際の富裕層は明るく、いい人が多い。そのあたりについて、川村さん個人としての印象はどうですか?
川村:欲望というのは、とかくネガティブなものとして描かれますが、欲望が人間を生かしているとも言える。明日何を食べたいとか、どこに行きたいとか、どんな服を着たいと思うことで人間は生きていけるからです。これは『億男』で主人公が気付いたことでもあるし、実は私自身が気付いたことでもあります。
些細な欲望が人間を生かしているし、お金がある安心感を買うというのもある種の欲望です。お金は信用の化身ですから、これを否定することはできません。ここから先は小説の中であえて結論は出していませんが、私は登場人物のどれかの中に読者の方々が自分を見るといいなと思ったのです。自分が幸せだと思う場所は、自分で見つけるしかありません。
高岡:お金の使い方が、その人そのものを表しますからね。お金を持つとその人の元々の人間性にレバレッジがかかる。
川村:お金と向き合った時にその人が、物がほしいのか、体験がしたいのか、仲間が欲しいのか、家族が大事なのか、自分が大事なのか……、お金はそれを測るリトマス試験紙になります。そこに「お金と幸せの結論」があると思います。それを知るために私は億万長者120人分の思考回路を全部くぐりぬけて、ある意味ですごく老けました(笑)。この人は深いところで何を考えているんだろうということを事前に溶かし込んで、それぞれのキャラクターとして固めています。
人間は失ってからしか、その幸せに気付けない生き物です。恋人もそうだし、親もそうです。そういう人間関係が充実しているほど幸せなことはない。ただ、そこがわかったうえでお金に触れているのと、わからないで触れているのはまったく違うと思います。わかったうえで、自分はこうしているのだと思うことが大切なのではないでしょうか。人間にコントロールできないものは「死」と「恋愛」と「お金」ですが、人間が発明したのはお金だけで、あとは本能的なものです。だからこそお金に支配されてはいけないし、自分の中で「ありとあらゆる幸せの形を考えた上でこういうチョイスをしているんだ」という風に、お金と向き合うほうが人生を楽しめるんだと思います。