日本人の文章?
「窓から外を眺めながら、あくびを手で隠す。だるい。この時間、男子ブロックはイスラム教の授業を、そして先生不足のため、同じ部屋の片側に集められている下の学年の女子は数学の自習をやっている。自習の時間はいつもだるい。
なにより部屋の空気の重苦しさがだるさを増す。口を大きく開け、肺いっぱい分の酸素を吸い込んだ。八十人も閉じ込められているこの小さな部屋では窓の近くに座っていても、吸い込める酸素が足りない」
日本人が書いたと言われれば、誰もがそう思うのではないだろうか。違和感なく日本語の文章として頭にスッと入ってくる。
だが、実は筆者はイラン人のシリン・ネザマフィさん(29)。日本に滞在して約10年になるシステムエンジニア。これは『白い紙』のある一節から取ったものだ。漢字、ひらがな、カタカナの表記がある日本語の読み書きは外国人には難しいとされる。
近年の文芸賞は、実力や作品の巧拙だけでなく、キャラクター勝負だったり、ルックス勝負といった話題づくりの面は感じないわけではない。外国人という流れも一つにはある上に、クッキリとした目元、日本人にはない鼻の高さ、各々のパーツが小さな面積の顔に収まり「美女」と形容されるルックスも受賞を後押ししたかもしれない。
それでも純文学の最高峰・芥川賞候補になったことは注目すべき出来事だった。今にいたるまでを語った。
シリン・ネザマフィさん