「富裕層は文化を創れ」(竹田和平氏インタビュー)

徳川家康が目指した芸術村

 樹木が夏場に蓄えてきた生命あふれる深緑の葉が、真っ赤に燃え盛るように染まる頃、多くの人々が京都を訪れる。その観光スポットの一つとして、光悦寺がある。金閣寺や、五山送り火でも知られる大文字山をさらに北へ北へと入る。ここに、江戸時代に“芸術村”として栄えた場所があった。

 1600年代の初頭、徳川家康は、芸術家で書家の本阿弥光悦に、京都市北部の土地一帯を提供。文化村を創るように指示したという。多くの芸術家、工芸家らがこの場所に移り住み、文化芸術を育てたのだという。関が原の戦いに勝利し、江戸幕府を開き、富と権力を手中に収めた家康。次代の文化の創造と育成も残された大きな仕事だと、考えていたようだ。

 文化を担うということを意識しているのか、名古屋市郊外の竹田本社のホールには、一つの街の形をしたミニチュア模型が飾ってある。唐突な感じさえするが、これは、芸術村のモデルとして竹田さんが自分の理想を形にしたものだという。まだ、実現には至ってはいないが「そのままになっとるけど、いつかやりたいと思うとってなぁ」と目標として持ち続けているのだという。


竹田和平さん

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