◆天才少女の活力あふれる青春時代
「他人の目には、私は一匹狼に見えたかもしれないわね」。
大学在学中、ケイリンさんはほとんどの時間を図書館で過ごした。その結果、18歳で卒業するときには、外国語文学と国際貿易の2つの学位を取得していた。卒業後は北京石油化学工学院国際商業経済学の講師となる。仕事の合間に、得意な外国語を生かし、出版社で翻訳をしたり、外国旅行会社でガイドをしたりしていた。
「英語ができる人にとって、国を出ないことは時間の浪費に過ぎないわ」
こうして、22歳のケイリンさんは2万ドルを持ってアメリカにわたり、ウォール街を暴れまわることになる。
◎ひとつの起点からもうひとつの起点へ
「チャンスは、準備ができている人に微笑むものよ」
ケイリンさんはその信念によって時代の成功者となった。ある1年、彼女は米ニューヨークとシカゴに設立された「FirstChicagoBank‘sFirstOption」連合会社で、中国の私営と国営会社のために資産管理サービスの仕事をした。毎日、数え切れないほどの企業ができては消えていく米国で、この小さな会社の影は薄かったが、ケイリンさんは人生の重要な一歩を踏み出していた。
これ以降、彼女は資本家への足取りを速めていく。アジア営商センターでは、Gardism投資会社を創設運営し、中国企業と境界内の投資業務を担当した。この会社は2年のうちに順調に上場を果たした。ケイリンさんは他の同世代の成功者と同様、ビジネスの樽金をかき乱すことになる。
1997年、27歳にして累積1000万ドル(約10億円)の資産を手に入れた。そのとき、彼女はまた新しい起点を考え始めた。それは母国・中国に帰るということ。1998年、世界的なネットブームの波が中国にも押し寄せようとしている時、彼女はネットメディアによる教育に目を付け、校園在線教育集団を設立、こうして彼女は期せずして中国のネット教育における第一人者となった。
だが、これで終わりではない。