曹操の墓発見で“自称子孫”が次々現る

◆本当の祖先は操姓?
 ある人は“私たち操姓が曹操の本当の末裔だ”という。操氏の家系図によると、曹魏の末年、魏皇帝曹奐(そうかん)は年少で、朝政はすべて司馬氏が握っていた。司馬昭(しばしょう)兄弟は曹魏の皇帝権を奪い取るために、憚ることなく曹操の子孫を殺害していった。

 そして、紀元266年、司馬炎が魏帝を廃止し晋を建立した後、曹魏の皇族一族の迫害はさらに激しくなった。曹操の族子曹休(そうきゅう)は司馬氏の攻撃を恐れ、一族を引き連れて鄱陽郡(はようぐん)新義(しんぎ)(現在の江西省波陽県)まで逃げた。そこでは、曹操の名前を姓に改め、曹姓を操姓にし、現在に至るという。

 また操一族には「操一族の女性は曹一族に嫁いではならない。操一族の男性は曹一族を娶ってはならない」という言い伝えもあるそうだ。

 最近、次々に現れた曹操の子孫について、曹操文化研究会会長の趙威(ちょうい)氏は、家系図だけでは曹操の末裔と断定することは難しいと話す。なぜなら、完全に残っている家系図は現存していないからだ。

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