後藤真希さんを育てた名物母さん

 1999年にミリオンヒットとなった「LOVEマシーン」では、新人ながらセンターの位置を奪った。この衝撃のデビュー以降、モー娘。は国民的アイドルグループに。真希さんの年収も良い時で約5000万円にも上った。それでも、江戸川区の実家を離れなかったのは父母を愛していたからに他ならない。時子さんは断ったものの、真希さんは「ずっと、お母さんのそばにいる」と話し、今のゴマキ御殿を建てることを決意したのだという。

 茶髪で今時の子供のように見えるが「外見とは違って本当にまじめで、口数の少ないおとなしい女の子」というのが、この頃の芸能界でのゴマキ評だ。

 麻布、六本木、恵比寿、目黒など成功した芸能人が好むエリアに居を移すことはなかった。「ゴマキ御殿」は地元では語り継がれている親孝行の象徴。16歳で豪邸を建てたサクセスストーリーの象徴でもある。だが、そんな美談も弟ユウキが事件を起こしたことと、真希さんが表舞台からは遠ざかったことで色あせた感はある。特に、末っ子ユウキのことには、時子さんも大きなショックを受け、今回の件は、長男のことで将来を悲観して自殺したとも言われている。

 真希さんがスターになったが故にできた親孝行。と同時に、その偉大な姉の名の後押しで芸能界入りし、芸能界引退後もそれに甘えた生活を送った弟の存在。今から思えば皮肉な結果となった。あまりにも不条理な永遠の別れだ。

 「出逢ったころは こんな日が 来るとは思わずにいた」。

 これは真希さんがモーニング娘。のオーディションでも歌い、その後はカバーもした「オリビアを聴きながら」(作詞・作曲尾崎亜美)の一節。この曲は、真希さんが幼い頃に時子さんの前で何度も歌った最も好きな曲でもある。

 まさに、こんな日が来るとは誰も想像しなかっただろう。時子さんの死による、真希さんの心のダメージは計り知れない。しかし、これからも昔と変わらず歌い続けていくことが、最大の供養であり、最大の親孝行であることは間違いない。

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