中卒で100億円の資産を築いた組立工(前編)

大卒というだけでモテた時代、自分は中卒だった

 大根田さんが社会人としてスタートを切ったのが、光学メーカー・オリンパスの工場(長野県)。1953年当時、ここは県内で最も良い就職先の一つで、入社試験を受けるだけで地元では、エリートと呼ばれたとも言われたそうだ。だが、大卒はさらに雲の上の存在だったのだ。

 「当時は大卒がほぼ皆無でした。99%は中卒と言ってもいいと思います。今の人に話をすると信じられないかもしれませんが、大学を出たというだけで、女性がその大卒男性を取り合うような時代だったんですよ」

 大根田さんの仕事は顕微鏡の組立。大卒の社員たちがゴロゴロいる東京の本社に異動した後にも顕微鏡の修理。並の人間ならそこで終わってしまうが、大根田さんは違っていた。まずは、英語の勉強を徹底的に行うことで、会社からも眼をかけられるようになり、医療機器部門へ異動。そこでも、徹底して医学書を読み込んだり、医療現場でも医師の技術を盗むかのごとく学び取り、見る物、聞く物すべてを自分の物にしていった。

 「当時の日本の社会には出世の方程式があったんですよ。それは学歴、年齢、性別です。でも、もしも、自分がお金のある家に生まれていたら、裕次郎さん(俳優の故・石原裕次郎さん)のように遊んでいたかもしれませんね」

 境遇が恵まれていたとは言えなかったが、英語力と医学知識を身につけて、出世コースであるアメリカ行きの切符を手にした。組立工という現状を打破することができたのは、自分の境遇に不平不満を言わずに努力したから、ということは言うまでもない。

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