スペイン・ハプスブルク家の断絶に見る、近親婚の結末
近親婚で滅んだ一族として有名なのは、スペインのハプスブルク家もその1つです。スペインはハプスブルク王朝(1516~1700)の下で、世界の一大帝国として大きな繁栄を遂げました。しかし、王家では叔父と姪、いとこ同士など血縁者間での結婚が一般的で、この近親交配が、繁栄を極めた王朝の滅亡の大きな原因だったとされます。
昨年4月にスペインのサンチアゴ・デ・コンポステラ大学が発表した研究論文「The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty」によると、スペイン・ハプスブルク家の最後の王、カルロス2世(1661~1700)の死因は遺伝性疾患という、長年唱えられてきた仮説が裏付けられました。
カルロス2世は、身体的障害・知的障害があったことで知られ、1700年に39歳で没しました。生涯で2度結婚していますが、カルロス2世は性的にも不能だったとされ、子供を成すことができず、王位を継承させることができませんでした。カルロス2世の死去によって、フランスのブルボン家へ王位継承権がわたり、フェリペ5世が即位しています。これまでカルロス2世の死は近親婚による遺伝的疾患のためと仮説が立てられてきたものの、その遺伝的証拠が明示されたことはありませんでした。
同研究では、スペイン・ハプスブルク家を16世代前まで遡り、3千人以上の人々の近親交配係数(近親者との交配レベルがわかる係数)を計算して、調査しました。その結果、スペイン・ハプスブルク家の近親交配係数は、王朝の創設者であるフェリペ1世の時代には0.025だったものが、最後のカルロス2世の頃には0.254まで飛躍的に増加していることが判明。同王朝での近親婚に加え、それ以前の複数の先祖の近親婚が重なった結果、交配係数が通常ではあり得ない増加を示し、これがカルロス2世の遺伝性疾患を招いたことを裏付けました。
またカルロス2世以外でも、スペインのハプスブルク家では幼児の死亡率が異常に高く、10歳以上まで生き残ることができる子供が少なかったこともわかりました。研究によると、1527年から1661年までの間にハプスブルク家には34人の子供がいたものの、そのうち10人(29.4%)は1歳までに死亡、17人(50.0%)は10歳までに死亡しています。これは当時の一般的な乳幼児死亡率より明らかに高い数字です。
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